無骨である。愛想がない。
エチケットも裏書きも、瓶口のシールもないボトルは、黒々として不気味である。持てば、ずしりと重い。
しかも、エチケットの糊がついていて、ベタベタとする。
あまりにも素っ気なく、飲む気が起こらない。
普段我々は、いかに視覚効果に頼っているのだろうか。
さあこれから、氏も素性もわからぬこいつを、一人で飲み干す。
一切の既成概念を排除して、裸でつきあう。
ブラインドテイスティングではない。
国も産地も生産者も葡萄品種も、一切推測しない(できないという話もあるが)。
いわゆるワインの表現用語や常套句は使わず、じっくりと飲んで、感じたままを綴っていく。
一人の酒好きのおじさんとして、こいつと過ごす。
わかるのは、750mlであること。ワインであること。
はたして酔えるのだろうか。ロマンは生まれるのだろうか。
コルクを開け、ワイングラスに注いだ。
白であった。実は、赤だと思っていたのである。
黒に近い濃緑色のどっしりとした瓶から、勝手に赤だと思っていたのである。冷やし過ぎてはいけないと思い、14~6℃(たぶん)にしておいたが、白であった。
男性かと思ったら、女性だったのである。
こりゃあ出だしから愉快だね。
水のような透明感に、ほんのり茜色が刺した白ワインを、一口飲んだ。
ううむ。素朴と優しさがある。
手がふくよかで柔らかい女性と握手を交わしたような、安堵感がある。
手の感覚の奥に、実直さがあって、それがどうやら、安堵感を膨らませている。
赤だと思っていたので、焼いた牛肉と生ハムを、用意していた。
しかたなく合わせてみるが、以外にもこのワインは拒否しようとしない。
この白は、ツンと気取っていないし、相手を選ばぬ許容力がある。
サラダ菜のサラダを用意していたので、ゴルゴンゾーラピカンテを、千切って混ぜてみた。
うん、いいぞ。チーズが甘く感じられる。いい奴だぞ。
茜色に輝く液体は、すいっすいっと軽快に吸い込まれて、4杯ほど飲む。
しかし瓶自体が重く、真っ黒で透明度が低いため、どれだけ飲んだかわからない。
今は19時を回ったが、そうだなあ、似合う時間帯は夕方で、季節は、初夏あたりがいいかな。
恐らくもう半分は飲んだろう。ワインはやや温み、苦みや複雑さが出てきた。
雑味といっても、それは土や葡萄のたくましさであり、豊かさである。
複雑な大地の息吹である。
最初の安堵感がもたらす静けさから、本来持っていた熱情が、次第に顔を出してきたのか。
そのとき、突然鶏が食べたくなった。塩蒸しにした、鶏の胸肉がいい。
淡い滋味が伝わる、しみじみとうまい鶏を食べたい。
そのうま味とこのワインを、引き合わせたい。
出来れば鶏は、皮が薄く、品がありながらうま味がたくましい、香港の龍崗鶏がいいな。
脆皮鶏という、熱い油をかけながら火を入れた、パリパリの皮としっとりした皮を楽しみながら、このふくよかなうま味を合わせるのもいいぞ。
あるいは、鶏ひき肉に調味した出汁を入れ、じっくりと火を入れた、鶏そぼろもいいな。
酔いがほんのり回ってきたせいか、次々とマリアージュの名案?が浮かぶ。
とにかく鶏などの、品が良い滋味を口に満たしながら、ゆっくりとこのワインを飲みたい。
では誰とこのワインを飲みたいか?
実は飲み始めた時には、一人でもいいと思った。
しかしワインの素性が見えてくると、お相手は、ワイン好きだけど、マニアではない友人と飲みたいと思った。
ワインの感想を細かく語るのではない、おいしいねの一言で分かり合える友人である。
恐らくワインの実直さが、そう感じさせたのかもしれない。
しかし終盤にかかった今、目の前には、唇がぽってりと厚く、情が深いがさばさばとした女性が、素敵な笑顔で微笑んでいる。
笑顔になるとえくぼが現れ、少女のような顔になる女性が、座っている。
なにもしゃべらず、微笑む顔と、見合った目だけで会話をしながら、鶏肉に齧りつき、肉汁を滴らせながら、このワインを楽しみ合う。
いいなあ。
温度が温んで、雑味が顔を出し、豊かなる大地の包容を感じ始めたせいかもしれない。
優しさに満ちながら、人に媚びない、素直で芳醇なうま味が空感じられるからかもしれない。
その感覚を誰かと共有し、共感したいと思い始めた時、自然に浮かんできたのが、先ほどの女性だった。
流れるBGMには、なにがいいだろう。そうだキース・ジャレットの「ザ・メロディ・アット・ナイト・ウィズ・ユー」がいい。
素朴で純砂なメロディが、次第に美しさと輝きをましていく。
妻へのクリスマスプレゼントとして演奏された曲は、静けさの中に、愛情が滲んでいる。それがこのワインと似合う。
自然体の純粋無垢な感情の中に、熱情を秘めている演奏が、まさにこのワインである。
我々の感情をそっと押し上げ、温かく包み込むところも共通している。
最後の最後にワインは、少しだけ妖艶さも感じさせた。
そうして最後の一滴は、別れを惜しむように、ゆっくりと喉に落ちていった。
いい夜を過ごせたかな? 穏やかな口調で聞きながら、静かに静かに消えていった。
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