汚れなき天然という真理

日記 ,

汚れなき天然という真理がもし存在するなら、このスッポンのことをさすのではないだろうか。
ここのスッッポンには、淀みが一切ない。
刺身も生肝も、水で割っただけだという血にも、雑味がなく、清らかな命が滔々と流れている。
鍋は、酒も生姜も醤油も出汁もいれることなく、水とスッポンの肉と骨だけで炊き上げる。
それもまた、味に迷いがない。
山奥を流れる水の如く、澄んだ滋味が静かに舌に広がるだけなのである。
都会で揉まれ荒み汚れた自分の体が恥ずかしくなるような、清明なうま味が、噛むほどに滲み出て、心を満たしていく。
しかし時間の経過とともに、奥底に潜んだスッポンの本性が汁に溶け始め、深さを増していく。
最後に御飯を入れ、卵を入れ、雑炊にして食べ始めると、その深いうま味と御飯の優しさが渾然となり、陶然とさせる。
天然のスッポンに化かされたかのように、食後はただただぼうっと中空を眺めていた。
「お客さんが言うんです。お前のとこの酒はアルコールが入ってないんじゃないかって」
そう。不思議なことに、あれだけ酒を飲んだのに、誰もまったく酔っていない。
その時初めてスッポンの生命力に取り込まれた自分を知る。
その夜はまんじりとして、まったく寝付けず、闇に沈んだ寝室が湖の底へ変化していくのを感じていた。
大津「きたむら」にて