松茸は濡れていた。
傘も軸も、肌合いがしとしと潤っている。
これこそが、鮮度の証だという。
松茸が、生きている姿だという。
数時間前に採ったばかりだという松茸の傘の裏を、嗅ぐ。
一瞬で、目には見えない微細な香り分子が漂い、鼻腔のひだに、細胞に、突き刺さる。
そうそれは、匂いがふわりと鼻腔を撫でるというより、まさに突き刺さってくる感覚だった。
人知の及ばない、森の神秘がそこにはある。
ご主人は、太い松茸の根元を切った。
普通松茸を切る時に、音は立たない。
しかし生きている松茸は、包丁を嫌がるかのように、キシキシと音を立てる。
半分に切るときも音が立つ。
キシキシ。キシキシ。
包丁ではなく、鋸で樹木を切っている音である。
斬られた松茸は炭火の上に置かれ、濡らした半紙をかけられる。
もうもうと湯気が上がる中、じっくりと松茸は温められていく。
やがて焼き上がった松茸をまな板に置く。
湯気が、いや松茸の生気が、白く姿を変え、天に登る。
皿に盛られた松茸の断面は、濡れに濡れている。
もう箸を取るのももどかしく、手で持って齧りついた。
松茸の繊維に沿って、縦に歯を入れる。
ボリッ。ボリッ。
松茸の繊維が弾け、痛快な音を立てる。
これもまた、他の焼き松茸では聞かない音である。
ポタポタ。ポタポタ。
歯を入れるたびに、松茸のエキスが皿に落ちた。
甘い。
直感的に感じたのは、甘さだった。
松茸の持つ天然のうまみが、甘く感じさせているのだろう。
だがその甘さは、どこまでも透き通っている。
自然という魔界が産んだ純粋だろうか。
食べていて、松茸ということにコーフンする自分の欲や邪心が恥ずかしくなった。
無垢で、醇乎たる味がある。
これは、森の精霊かもしれない。
食べながらそう思った。
ここで松茸を食べるのは、3回目になる。
その度に松茸の本質とは何かと、問われ、真の姿を垣間見てきた。
だが今回の焼き松茸では、また新たな真実に出会った。
その味と香りをこうして文字にしているが、人間の考え及ぶ言葉にしてはいけない霊妙がある。
そこには恐れ多い不可思議が、厳然と存在しているのだった。
飯田「柚木元」にて。