松茸の宴。1

食べ歩き ,

アンティークのガラスボウルには、松茸の山が築かれていた。
「今夜は存分に松茸を食べてください」という、森川さんの心意気である。
松茸の香りをひとつずつ確かめ、選別していく。
「キコキコ」と軸を切り離し、傘を切っていくのだが、おそらく土瓶にきっちりと詰めるためだろう、微妙に大小を作りながら切り分ける。
土瓶に詰め、吸い地を張って、奥の厨房にいったん運ばれる。
やがて土瓶蒸しが運ばれた。
こちらの鱧と松茸の土瓶蒸しは、別仕立てである。
蓋を開けると、つゆを張った土瓶には松茸だけが入っている。
一方黒塗りの椀には,茹であげた鱧だけが鎮座する。
土瓶からつゆを猪口に注いで飲む。
ああ、なんということだろう。
松茸の香りが顔を包むと,豊かで丸い滋養が舌を抱きしめた。
そのうまみは、深淵が見えぬほど深い。
それでいなら、時折松茸に感じる雑味はなく、澄んだエレガントが、丸く丸く舌を転がっていく。
 
松茸土瓶蒸しは、味をやや濃くしなくてはいけません」。
そう、森川さんは言われた。
濃いと言っても、塩が舌に当たるわけではない,
豊満ながら品があり,たくましさを感じさせながらまろやかである。
それも,たっぷりの真昆布とまぐろ節でとられた、贅沢な出汁があってこそ成立するのだろう。
しかも驚くべきことに、濃いおつゆの中から、松茸の汚れなき、淡い甘さが溶け込んでいることを感じさせるのである。
さて,つゆを飲んだ後は、松茸を食べる。
酢橘を、松茸に一滴垂らして食べる。
次にお椀の蓋を開け、鱧に土瓶のつゆを注いで、いただく。
鱧は.ふわりと、溶けていくかのように崩れ、優しい甘みを広げる。
海と山の豊穣は、こうして手を繋ぎ、一つとなって、めくるめく幸せで体を満たす。
京都「浜作」にて