明治の灯びが消えた

食べ歩き ,

関東が鰹節で関西が昆布となった食文化の理由もこちらのご主人に教わりました。昆布は北海道、鰹節は九州が原産地で、流通が儲けるには遠い地域が適しているという理由で

 

明治の灯びが消えた。
2015年12月25日、東大前「呑喜」は、128年の歴史を閉じた。
これでまた一つ、江戸の味がなくなった。東京が誇る文化財産が、跡形もなく、なくなった。
最近のおでんは、コンビニまで薄味だが、「呑喜」の味は、気のおけない味だった。甘くて辛いが、味に甘えはなく、舌に丸く、キリッと後味がいい。
ガラリと引き戸を開けると、時代が染みた店内では、赤銅丸鍋の中、タネがくつくつ煮えている。
つゆの色は黒く、甘目である。しかし透き通った出汁のよそよそしさとは違い、心が和む温かみがある。これこそが、気取りのない、昔っからの東京の味だった。
10月に「大根」を頼むと「すいませんねえ、後一ヶ月ほど待ってください」と、ご主人が答えた。
牛すじはなく、ジャガイモもおかず、冬にしか大根は置かない。
「他は四角だけどここは鍋が丸いねえ。なんていう人もいるけど、ありゃあ戦争でみな弾丸になっちゃったからねえ。戦後は仕方なく四角いアルミのバットでおでんを炊いてたン。それで今のおでんはみな四角よ」。
昆布巻きもないのは、江戸時代からの決まりで、鰹だしで煮るからだ。
その分、タネからコクが染み出でる。
袋の中身は、牛肉とシラタキと玉葱。つまりすき焼きってえわけだ。
「爺様の頃の袋はねえ、季節の味って、銀杏やら竹の子やら茸入れて福袋って呼んでたんだけどね。ここは学生さんが多いでしょ。みんなパクって食べて、気が付かない。だからやめちゃった」。
ガンモもハンペンも豆腐も、つゆがじゅわりと沁みだし、心を温める。
「白ちくわ」と頼むと、「すいませんねえ。白ちくわも信太巻もなくなりました。千葉でやってたんだけど、工場を小名浜に移してね。全部壊れちゃったんでさあ」。
「白ちくわはちくわぶとは違いますよ。似てるけどね。白ちくわは魚のすり身、しかも焼き竹輪と違って雑魚じゃあない。ちくわぶはうどん粉で作っってるからね。全く違うのでさあ」。震災は、老舗にも影を落としていた。
親父と話していると、東大生が四人入ってきた。
「がんも、豆腐、芋、コンニャク、袋」銘々が頼む。
豆腐をつまみながら、「社会が人間を選び、人間が社会を選ぶんだ」と論議している。
論議しながらも、間をおかずおでんを食べているのはエライ。
墨跡鮮やかな「呑喜最佳」の額は、文部大臣であり学習院長であった、阿部能成の書だった。
ご主人の姿を見ながら、この味はいつまで続くのだろうと思った。
四代目、痩身のご主人は、八十を超えたあたりで、タネを乗せた皿を出す時、手が震えるようになり、それがわびしかった。
いつかなくなるのはわかっていた。でも認めたくない自分が無視をした。
自分の無力を、今更ながらに叱る。
最後には必ず茶飯を食べた。これも昔っからの東京の味である。
素直なてらいのない味が、しみじみと体をほぐしていく。
つくづく思う。東京人として誇れるのは、こんな時だと。
意地悪にも思う。
これを知らない東京人は不憫だと。
「ごちそうさま、おいしかったです」。というと、ご主人が顔を崩す。
おでんのつゆがしみたようなあの笑顔は、もう見る事はできない。