「おっ。こんなところに店がある」。
新橋烏森口から浜松町方面に十分ほど歩いた辺りに、その店はあった。
通いなれた道だったが、狭い路地の突き当りに位置していたため、今まで気づかなかった。
路地に入ると、白看板に赤字で「やきそば」とだけ記されている。屋号はない。
いやそれが屋号なのか。
木戸にはえんじ色の半暖簾がかかり、四つに割れた両端の片隅に、小さく「炒麺」と「炸麺」と、白く抜かれている。
「焼きそば専門店か。面白い」。約束の時間まで余裕があるので、小腹でも満たすかと、軽い気持ちで暖簾をくぐった。
「いらっしゃいませ」。店に入ると、親父のしゃがれ声に出迎えられた。細長い店内は、6席のカウンターが伸びていて、奥に卓袱台が置かれた4畳ほどの小上がりがある。
どうやら店主一人で切り盛りしているようだ。客はいない。朱塗りのカウンターの真ん中に座り、品書きを手に取った。
赤い厚紙に、白い紙が貼られ、品書きが印字されている。
焼きそば 炒麺 七百円 大・千円
しなちく 三百円
焼き豚 四百円
煮玉子 百円
ビール小瓶 三百円
老酒 三百円
五粮液 四百円
実にシンプルである。しばし眺めた後、
「煮玉子にしなちく。ビールを、まずください」。と頼んだ。
「かしこまりました」。しゃがれ声の主が動き出した。年のころは六十半ばくらいだろうか。小柄で痩せてはいるが、背筋がきりりと伸び、凛とした立ち姿をしている。短い白髪は丹精に整えられ、角型をした顔の真ん中にかけられた、黒い眼鏡の奥は鋭い。
白いTシャツにVネックの白衣を着込んだご主人は、流れるように動いている。
「はい。しなちくと煮玉子です」。しばらくして、二つの小鉢とビールが置かれた。
煮玉子は半熟で、細かく切られ、少量の豆板醤と醤油ダレで和えられて、香菜の葉が一枚のっている。しなちくは、香り高いごま油で和えられ、刻みネギがかけられている。
うれしくなった。「いい店を見つけたぞ」。ほくそ笑みながら、冷えたビールを流し込む。
小鉢の中身が半分ほど無くなった頃合で、焼きそばを頼むことにした。一体どんな焼きそばだろう。聞いてみようかと思ったが、やめて、出会いを楽しむことにした。
「焼きそばをください」。
「はい、かしこまりました」。主人はそういうと、こちらの顔をじっと見た。そして笑みを浮かべると、厨房に体を返し、背を向けた。
一瞬、場にそぐわない、不思議な空気が流れた。なにか、入社面接試験を受けているような、こちらの素性を読み取られているような、緊張がよぎったのである。
ジャーッ。厨房から、威勢のいい音ともに胃袋を刺激する匂いが漂い始めた。
「はい、お待ちどおさまでした」。
青、黄、赤の鳴門模様で縁どられた皿に、焼きそばは盛られ、目前に置かれている。
体が動かない。言葉をなくした。目を見開いたまま、手が箸に伸びない。
そこにあるのは、母の焼きそばだった。満州時代に祖母が現地の人より教わったという焼きそばが、母に伝えられ、改良されながら、我が家で愛されてきた焼きそばだった。
醤油味の焼きそばで、生姜を炒めて香りを出した後、具を炒め、軽く両面を焼いておいた麺を戻しいれ、醤油、胡麻油、少量のスープで味付けをする。
最後に、煎りゴマをかけるのが特徴で、具は、モヤシ、たまねぎ筍に、豚肉の細切りだ。
どうしてこんな偶然が訪れるのか。思わず主人を見上げると、平然とした顔つきで
「お熱いうちにどうぞ」。と促された。
小学校から帰ると、母はいなかった。テーブルには、「友人の家に行ってきます。五時には帰ります。おやつに食べて」。と書置きがあり、皿に丼をかぶせたものが置いてある。
丼を取ると、焼きそばがあった。ぬるいがうまい、我が家だけの焼きそば。遊びに来た友達が、「こんなん食べたことないわ。めっちゃおいしいやん」と絶賛し、得意気になった焼きそば。
今食べているのは、まさしくそれだ。醤油にスープのうまみが加わって、なんとも丸く、優しい風合いの味となる。生姜が利いて、煎り胡麻やごま油の香りが利いて、食欲があおられる。
筍の歯ざわりが心地よく、下味つけた豚肉もうまい。ただし母の焼きそばと違って、どうやら隠し味に、牡蠣油を忍ばせているらしい。うまみが深い。彩りに、赤ピーマンの細切りを加えていることも違う。
あのころは、牡蠣油も赤ピーマンもなかったなあ。よし今度、実践してみよう。
瞬く間に食べた。満足のため息を一つ吐く。
「いやあ、おいしかった。変なことをいうようですが、この焼きそば、母が作る焼きそばとそっくりなんですよ。懐かしくて。しばらく食べてなかったから。いやあ、ほんとにおいしかった」。
主人は驚く様子もなく、淡々と
「ありがとうございました」。というだけだった。
以下次号
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