山梨県「notori」

山のDNA。

食べ歩き , シメご飯 ,

貧富とは、お金の多寡ではない。
同じ百円なら百円をいくらに感じられるか、価値観の問題である。
理解はしているが、普段はなかなか意識できない。
ましてや、料理から学ぶとは思わなかった。
初めて食べる料理なのに、懐かしい。
シェフにそのままを伝えると
「嬉しいです。ここは兄と僕の家に来て、くつろいでもらえることを考えて、料理も作っていますので」と、笑顔が返ってきた。
一皿めは「鬼胡桃」である。
胡桃の生地の中に胡桃のペーストと実を入れ込み、上から胡桃の樹液を煮詰めたシロップを垂らす。
食べれば甘みが澄んでいた。
メープルのような甘みの暴力がない。
しばらく噛んでいくと胡桃が顔を出す。
その時、ふと懐かしい面持ちになった。
子供の頃胡桃を食べていたわけでもなく、胡桃の木が生い茂る中で生活した過去もない。
自分の中に隠された、遠い記憶、眠っていた祖先のDNAがカチリと音を立て、懐かしさをつのらせたのかもしれない。
2皿目は、「公魚と蕗の薹」である。
公魚を六匹まとめて、ふきのとうの衣つけて揚げたのだという。
上には炭化させた山梨県産ライムをかけ、ふきのとう味噌のオランデーズソースを添えてある。
舌に、拙い甘みと苦味が流れる。
冷たい湖の輝きが、心を抱いて、切なくなった。
3皿めは「馬刺し」である。
山梨県産馬ランプの刺身とタテガミのラルドに、エシャロットの味噌たまりあえと藪萱草のソテーを添え、紅くるり大根のソースとイチジクの葉のオイルをかけてある。
馬肉の躍動する鉄分の味わいと、ソースやオイルのフルーティーな酸味が呼応する。
馬肉をさらにおいしくさせようという人間の考えはない。
人間は不自然だが、馬を自然の中にそっと戻してやれないかと手を差し伸べている。
そんな心遣いを感じる味わいだった。
さらに「鯉 熊」と題された、不思議な皿が出された。
鯉のラビオリ、野芹とネギ、にんにく、鯉の生ハムを熊肉で巻いたものが合わされ、キノコと鯉の出汁によるスープが添えられる。
食べれば、果たして鯉と熊は合うのか、という浅はかな人間の想像を霧散させる。
野草、茸、熊、鯉、山中の生き物たちは繋がっている。
犯してはならない森の、毅然たる気品が漂っている。
この料理だけではない。
都会に住む我々が背負った、身体に合わない殻を破り、削ぎ落とす、明澄があった。
なんという透度だろう。
高い食材を何一つ使っていなくとも、森の中の見えない光を探し出し、新たな価値を知ろうとする自分が生まれ始めている。
原始の人間としても喜びかもしれない。
それが懐かしさを呼び起こし、あらゆるしがらみから解き放つのだ。
山梨県「notori」にて