「大衆食堂」と、紺地に白く抜かれた長暖簾が揺れている。
看板の剥落が時代を語る。
「よっしゃメシ食うぞ」と暖簾を潜り、ガラス戸を引き開ける。右手にカウンターが伸び、左手はテーブル席が五つほど。
「はい、いらっしゃーい」。
腰に前掛け、頭に白頭巾を巻いた、山岡久乃似のおばちゃんが、明るい声で出迎えた。
客は皆男性で、一人客が多い。
一人は、カツ丼を掻き込みながらポテトサラダをつついている。
一人は、金むつの煮込みとハムカツをおかずに、一心不乱にご飯をほおばっている。
一人は、ほうれん草のおひたしとウィンナー炒めを肴に、酒をやっている。
グルルと腹がなった。
ずらりと壁に張り出された品書きを吟味する。メインは、サバの味噌煮か秋刀魚塩焼きか。それにメンチを一個つけて、マカロニサラダや胡麻和えも欠かせない。
ああ玉子焼きも頼まなくちゃ。
いいやハムエッグに醤油をかけて、ご飯の上に載せるのもいい。
納豆もつけて。ええい明太子もだぁ。
味噌汁はトン汁とおごっちゃうぞ。
思いは千々に乱れ、ちょいと頼みすぎのプチ贅沢が心をくすぐる。
さあ焼きたての魚が湯気を立てて運ばれた。ご飯は光り、味噌汁の香りに目を細める。
「ごっそさぁん。魚うまかったよ」。
中に声をかけると、無口な親父さんが、ふっと口元を緩めた。
定食屋はこんな風であって欲しい。
毎日食べても飽きない温かみのある惣菜と人情が、腹と心を満たすのだ。
定食屋と呼ぶより、大衆食堂と呼びたくなる店が好きだ。
定食屋に通いだしたのは、会社に入ってからで、勤務先近く、仕事先、昼夜深夜など、様々のシチュエーションに合わせた店にお世話になった。
無くなった店も多い。派手な街に希少な質実だった六本木食堂。
同潤会アパートの一角で時を刻んでいた代官山食堂。
驚愕の焼き鮭に出会えた、神保町の亀半。
東北へ旅立つ歳に便利だった、上野駅地下食堂街のおかめ。
これぞ大衆食堂、駒込のたぬき食堂。
定食屋は、コンビニとファミレスという脅威に、肩身を狭くし、減っていく存在かもしれない。
しかしあちらがグローバルスタンダードなら、こちらは近代日本食文化大全だ。
そんな定食屋における一番大事な心構えは、腹を減らして出かけること。
次に出来れば気ままに、一人で出かけること。飯を食らうでも酒を飲むでもよし。
自分のペースを楽しみ、他人の邪魔をしない。
大声で騒がない。
陣地を広げすぎない。
それだけを守る。
元来わざわざ出かける類の店ではないが、目的別に遠出してみるのも一興だ。
焼き魚なら、神保町「はせ川」。
おかずの種類の多さと迅速さでは、定食屋界のワンダーランド、勝どきの「月よし」。
ちょいと高いが、魚も肉も十分に吟味された料理を出す、渋谷の「八竹亭」。
おいしいお米を食べたきゃ、大手町「純米亭」か青山と代々木の「田んぼ」へ。
干物なら月島「めし屋」。
これぞ大衆食堂という風情に浸るなら、根津の「かめや食堂」、合羽橋の「ときわ食堂」、西日暮里の「竹屋食堂」。
東京以外なら、釜炊きご飯と質の高い魚が揃う、世界最強の定食屋、博多の「王紋食堂」。
世はスローフードだとやかましいが、現代はこういうフツーの日常食をフツーに大切にすることこそ難しい。またこういう店が町々にあってこそ、初めて外食産業は成熟したといえるのではなかろうか。