一口飲むと、大地が震えた。
「山シギのビスク」である。
もし今際の際にこのスープを飲んだら、再び生きる力が湧いてくるだろう。
味の両手が、官能を触り、揺さぶって、生きろ、生きなくてはいけないと、命ずるのだ。
人間がスープを飲む。
それは別の生命を飲み込むことである。
しかしこのビスクは、異なる感覚を呼び起こす。
飲んだ瞬間に、自分がヤマシギに頭を突っ込んで、体ごと飲みこまれていくのである。
そこには生きとし生きる野鳥の、すべてを抽出させた料理だけが得られる、鳴動があって、人間に問うてくる。
「私を食べるとは、どういうことなの?」と。
スープを飲んで、自然への畏怖を感じたのは、初めてである。
それほどまでの高貴と妖美が、厳然と存在していた。
生き物の体に手を突っ込んで、生命の芯を鷲掴みにして凝縮させ、純度を高めた料理だけが得られる、高貴と妖美である。
それは、フランス料理とは命と向き合う料理であることを、我々に教えてくれるのだ。
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