大切にしていたのに、それがあるだけで幸せになれたのに
薄情にも忘れてしまうことがある。
最後に食べたのはいつだったのか
30年前? 40年前?
存在すら忘れていたものが、我が家のテーブルにあった。
母の80歳になる友人の手土産だった。
「わっ、ゴーフルだぁ!」
子供のころと同じように叫び、慎重に包みを開けた。
変わらぬお姿。お久しゅうございました。
世の潮流にも流されず、ご健在だったんですね。
しかし不安だったのだ。
中身も昔と同じなのか。
これを感動できぬ、生意気な舌に成り上がっていないだろうかと。
食べた。
ああゴーフルだ。
まぎれもないゴーフルだ。
羽のように薄くて軽い皮が弾けると、中からほの甘いクリームがにじみ出る。
昨今の菓子のように押し出しが強くない。
しとやかで、ひっそりとおいしい。
そこがなんとも愛おしい。
小学生のころ食べ方に凝って、
真ん中の風月堂だけ四角く残すように齧ったり、縁からちびちび齧ったりして楽しんだ。
そんなことを突然思い出す
胸が火照った。
一枚食べるのがとてつもなく贅沢だった。
今でもそのようだ。
豪快に無差別に齧れない。
半分に割り、ゆっくりと、少しずつ齧っては
「おいしいなあ」と、つぶやいた。