軽井沢 ひととき

名店の系譜。

食べ歩き ,

軽井沢に「菊水」という洋食屋がある。
創業は昭和11年で、古き良き仕事が残された洋食がいただけた。
僕は中学生の時からお世話になっている。
昔は、旧軽銀座を入ってすぐの路地奥、これまた古い天ぷら「万喜」の奥にあった。
今は三代目となり、塩沢に移転される。
旧軽時代は、毎夏必ず2、3回は通った。
好きだった料理は、「トマトクリームスープ」に「チキンソテー」、「ニジマスのムニエル」である。
働き出した時は、初任給で奮発して、ステーキコースをおごったなあ。
まだ代々の別荘族がいて、紳士淑女が背筋をきりりと伸ばし、美しいい手つきで洋食を楽しんでいた時代である。
洋食の他に昼は、カツ丼、ラーメン、ピザもあった。
なかでも、他のラーメン屋にはない味を出していたラーメンは忘れられない。
やがて人手が少なくなったという理由で、カツ丼やラーメンはなくなり、ニジマスのムニエルも無くなってしまい、夜はコースのみになっていった。
塩沢の店も何回か行かせてもらった。
懐かしい「トマトクリームスープ」はそのままだが、チキンソテーは「若鶏の鉄板焼き」と名前を変えて、美味しいが味は変わっていた。
ところが昨日、あのチキンソテーと出会ったのである。
その小さな店は、ご主人と娘さんだけでやられている店で、店名の前には「食事と喫茶」と書かれてあったので、軽食を出す喫茶店だと思っていた。
だがメニューを開いて驚いた。
本格洋食が並んでいるではないか。
ニジマスはないが、「ユキマスのムニエル」もあるではないか。
散々悩んだが、「チキンソテー シャスールソース」にした。
いやあ、美味しい。
まごうことなき「菊水」の味である。
確か当時はデミグラスだったが、それより洗練されて、エシャロットの香りやマッシュルームの旨味が溶け込んだ、まろやかな味わいとなっている。
オーブンで仕上げられた、鳥の皮目や、熱々の中心部の焼き具合もいい。
ついでに言えば、先に出されたサラダのヴィネグレットも、酸が効いて上出来である。
食後にご主人と話した。
60歳になられるご主人は、二十代の頃に「菊水」に入られ、十数年修行されたのだという。
当時のラーメンやピザの味の話で盛り上がった。
娘さんと二人で、今年の春に店を始められ、お父さんが料理で、娘さんがケーキを作られている。
その中の一つ、「レモンショートケーキ 」もいただいた。
優しい、優しい味である。
その甘酸っぱさには、長年修行されたお父さんが、娘と小さな店を始められた喜びがにじんでいた。