共水鰻は、自分の味を持っている。
ただふわふわで、タレの味わいに寄りかかっている、腑抜けではない。
確かにふんわりと柔らかい。
ただし噛みしめていくと、これが私だという味が膨らんでくるのであった。
その自尊心のあるうま味が甘辛いタレと出会ってこそ、蒲焼という料理の醍醐味は生まれるのではないだろうか。
だから僕はこのうなぎ食べるときには、ご飯と抱き合わせては食べない。
まず千切った蒲焼を口に運び、目をつぶって、よくよく噛んで味が膨らんできたところで、すかさずご飯を食べるのである。
皮を舌側に当ててもうまいが、身の美味しさを存分に味わいたいので、腹側を下側にして食べる。
柔らかいのでうっかりすると、7回口を動かしただけで消えていこうとするが、そこをあえて噛む。噛む。
すると本領を発揮して、深みが顔を出す。
そこでたまらず、ご飯。
ああ。うまい。
山椒はかけない。これが正解だ。
「入谷鬼子母前のだや」にて。
白い皿の白焼きは和匠
赤い皿の白焼きと鰻重は、共水。