久々にまずい物を食べた。やむなくやむなく、食べきれなかった。
午後二時半、どこもやっていなかったので、チェーンの中華料理店Fに入ったのだ。
頼んだものは、半チャンラーメン610円。ラーメンに白菜漬け、茶碗に入った炒飯という布陣である。
「強火速攻 鍋自慢」と書かれたポスターには、米が中華鍋の上で舞い踊っている。まずその炒飯がいけません。
強火で攻めすぎたのだろう。葱は真っ黒に焦げ、玉子はまだらに黒い。
米は疲れていたのだろう。舞い踊らずにへばっていたようで、百粒ずつ固まって、食べるともそもそする。
玉子も米も叉焼も味がない上に、薄味と来た。 完璧である。
そしてラーメン。これが難しい。見た目は問題なし。
しかし一口スープをすすった時、「おいしくないなあ」と脳が判断した。
まずいのではない。おいしくない。だがどこがおいしくないのか、わからない。
そこはかとないまずさといおうか、まずさがそっと忍び寄る。
考えた。なぜおいしくないのか。
すーぷにほのかな酸味がある。塩味は強くない。
ああそうか。香りが乏しく、旨味が少ないのだ。
静かでいて主張がない。それでいた微かにすえたような香りがする。
捉えどころのないまずさとはこういうことを言うのか。
究極の引き算か。なにかこう、真綿でじわじわ首を絞められているまずさである。
なんだか急にうれしくなって、今度はレバニラと餃子に挑戦してみようと思って、店を出た。