不純を削ぎ落し

食べ歩き ,

不純を削ぎ落し、落とし落とした結晶がある。
純真を磨き、磨き磨いて、たどり着いた誠実がある。
ナイフのように鋭利で、赤ちゃんの頬のように柔らかい。
宇宙船の部品のように精緻で、空高く飛ぶ鷲のように自由である。
これこそが、まごうことなき谷昇シェフの料理である。
微塵に切られたビーツは、フロマージュブランのタルタルソースや、根セロリと赤ワインのジュレを携えながら、ビーツ以上にビーツである。
ビーツをただ細かく切ってタルタルにしたという潔さなのに、大地の甘みと土の豊かさが舌を包んで、笑顔にさせる。
一方、旬は夏だという鱈の背の肉は、フォークを入れればはらりと剥がれて、たくましく甘い。
冬に向かって子をはらむ為の養分をみっちりとつけて、命の壮絶さを知らしめる。
信州味噌とハーブとヴィネガーを使った“酢みそ”の、柔らかなうま酸っぱさが、鱈の滋味を静かに持ち上げ、四つの異なるコンディマンが気分を盛り上げる。
ふふ。巧みに計算された皿の向こうには、谷シェフの少し得意げな笑顔が見える。
そして鳩のポトフである。
ガラや筋肉、内蔵などでとり、卵白ではなく血で澄ませたコンソメに、鳩が鎮座している。
さらに顔を近づけただけで、筋肉が弛緩した。
食欲の芯を揺さぶる香りが立ち上がって、精神が勃起する。
食べれば、ああ。猛々しい鳩の深部に隠されていた純粋がある。
生命の気高い芯に触れてしまった。
絶望的なおいしさがある。
おいしさの中に畏怖を感じる料理があるとしたら、この料理だろう。
食材の純を求め、その一点に集中して削り、磨き、高め、極めていくのは、相当な精神力と技が必要だろう。
それこそが谷シェフの哲学であり、食材に対する敬意なのかもしれない。