マイ餃子史4 大学編2

食べ歩き ,

前号まで

おい。餃子食べていかないか」。

もう一軒は、先輩に教わった。

出された餃子を見て、目を丸くしたまま動けなくなった。我々の頼んだのは餃子である。

だがこれのどこが餃子なのか。餃子が堕落し、身を持ち崩して、形を成していない。

恐る恐る一口を食べ、めまいを起こした。

「この世にこんなうまいものがあったのか」。

たった一口でコシが抜けた。

馴染んだ料理なのに、未知の旨味が津波となって押し寄せる。

「おかわりしてもいいですか」。

二個目に箸をつけながら、先輩に懇願した。

その店は小さな店で、働いているのは全員おばさんで、家庭的な温かな雰囲気が漂っている。

しかし出された餃子は異形だった。今まで食べてきた焼き餃子の姿はどこにもない。

まず餃子一個一個が独立していないのだ。いや本来は独立していた餃子が、一致団結し、肩を組み、頬寄せ合って、境界線があいまいとなっている。

餃子の集合体がこんもり盛られていて、いくつあるのかもわからない。

香ばしそうな焼き色を見せる皮もあれば、破れている皮もある。汁か油かの影響で、てらてらと光り、ぬるぬると湿っている。

タレも違う。餃子のタレににんにくの微塵切りが入っている。

食べて冒頭の衝撃が訪れた。皮の甘み、肉餡の汁、にんにくの香り、油のコクが渾然一体となって、口の中を嵐のように駆け巡る。

圧倒的な下品の迫力があって、それが舌にまとわりついてくる感覚が、病み付きとなる。食べてしばらくたつと、また無性に食べたくなる。

外苑前の「福蘭」である

出会って40年。何度通ったことだろう。

この店は長い間、通称「王さんの店(ワンさん)」で親しまれた屋台だった。

明治通りで営業していたのだが、昭和43年に現在の地に移ってきた。

たっぷりの油で、揚げるように焼き、そこにスープを注ぐ。

いったん油とスープを落とした後、再びスープで蒸し煮にするというやり方だ。

「今日一日ごくろうさん。これで力をつけな」と、ねぎらう気持ちが満ち満ちている。

それだからだろうか。

金持ちになっても、贅の限りを尽くしても。30年、40年と通う客がいる。

ある日マチャアキさんが、テイクアウトを嬉しそうに受け取っていくのを見かけた。

おばちゃんが、「もうスパイダーズ時代から、40年も通ってくれているの」と嬉しそうに話していた。

そうやはり餃子は、「好吃不如餃子」だ。