ホットドックは、恥ずかしい。

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ホットドックは、恥ずかしい。

なぜなら、人前で裸をさらしているからである。

これがむき出しのソーセージだと、裸という感覚は芽生えないが、パンに包まれた瞬間、なぜか裸体となる。

それは、パンという着物が存在するからである。

アマゾン奥地の原住民の裸はたくましい。

だが白人に贈られたシャツを着て、胸をはだけながら嬉々としている女性の姿を見ると、エッチな気分になる。

それに等しい。

倖田來未は、ビキニ姿より、男物の大きなワイシャツ一枚で、踊り歌うほうがエッチだ。

なんだか、訳のわからないたとえになってきたが、そんな感じなのだ。

エッチな光景に加え、表現者としてどうなのかという問題もある。

ハンバーガーやサンドイッチ、ナポリタン、立川志らくと比較しても、表現者としての芸が少ない。

パンにソーセージを挟んだだけじゃないかといわれると、はいその通りですと答える以外にない。

しかしその単純さというか、潔さというか、開き直りが芸なんです、という考えも成り立つが、屁理屈でもある。

とにかくこの、恥ずかしく、芸の少ない食べ物を食べようとするとき、ボクは何かいけないことをしているような気になる。

少しドキドキして、周囲の目を気にしながら、がぶりとやる。

またパンからはみ出ているソーセージが、その気持ちを加速させる。

あのはみ出ている部分をどうしたらいいのか、という戸惑いが生じるからである。

かといって、ソーセージがはみ出していないホットドックはさびしい。

はみ出しているからこそ、「齧りつくぞ」という気分の高揚が生まれる。

だが、処理に困る。

そんなことを気にせずのがぶりとやっちまえばいいのさ、という性格に生まれればよかったのだが、残念ながらそのようには生まれなかった。

ボクのやり方は、はみ出したソーセージを見つめ、手でパンの中に後退させる。

そうすると逆側からソーセージがさらにはみ出るが、それは気にしない。理由は後述する。

しかる後、パンを下から支え持つようにして、がぶりとやる。当然口の位置は、ホットドックにして直角、つまりホットドックの上部に上顎、下部に下顎が当たる形となる。

一方、ソーセージがはみ出していず、上に跳ね上がった状態のホットドックはどうするか。

この場合注意したいのは、噛んだ瞬間にてこの原理で、後部がさらに跳ね上がり、パンから飛び出す恐れがある。。

その場合は、パンを持つ手の人差し指の先で、ソーセージを抑えながら、慎重にかぶりつかなければならない。

ホットドックを回転させ、側部からも齧りついたことがあるが、釈然としなかった。

味はそう変わらない。

しかしそうすると、最初に上側前歯が当たるのがパンとなり、ソーセージの存在感が弱まってしまう。

また不安定という、心理的要素も重なって、おいしくない。

さて、一噛みしました。

その切り口というか、歯型の残った姿を観察してもらいたい。

あなたが特殊入れ歯をしているか、もしくは犬やサメでない限り、Uの字の断面が残されているはずである。

つまり、両サイドにパンが極少量残り、ソーセージ部分が凹んだ形である。

これがいけない。

次に齧るとき、パンが邪魔して、ソーセージのダイナミズムが失われてしまうのである。

ではどうするか。

最初にがぶりといきました。

それでやめてはいけない。

がぶりといったその後、口を開かずに口と歯、舌を左右に動かすようにして、微調整し、残ったサイドのパンも食べてしまうのである。

これで切り口は、平らになった。

問題は解決し、気分新たに、心置きなく、がぶりといける。

しかしちょっと待った。

よく観察してほしい。ニュートン力学により、ホットドックが後退し、パンに埋もれ気味になっているのが見て取れるだろう。

このままの状態ではいけない。理由として

  • ソーセージは後退を繰り返し、最後はソーセージだけが残された状態となる。
  • ソーセージとパンのバランスが崩れる。
  • ソーセージとパンの比率は、若干ソーセージ優位な方がうまい。
  • このまま、下がった状態が続くと、引きこもりになる。精神的によくない。

といった理由により、ソーセージを救出する。

指もしくは楊枝的器具にて、引き出してやる。

その際、パンの断面より1センチ前方に飛び出た状態が好ましい。

こうして引き出すことにより、最初に飛び出た後部部分のソーセージも、最終的にパンの中に納まることとなる。

これにて一件落着。ああよかった。

と安心してはいけない。

別の問題として、マスタードやケチャップ、トッピングとの兼ね合いが残されている。

マスタードは、大抵ソーセージにまんべんなくつけられている。

このまま食べれば、いつも定量のマスタードを口にすることになるのだが、なぜかいつも、噛みきったソーセージの手前側1センチ弱周辺のマスタードがなくなっている。

おそらく、噛み切る勢いに引っ張られ、口の中に吸引されるのか、唇に付着してしまうのが原因であろう。

これではいけない。

対策として、常にマスタードを追加添付できる状態を作る。

それがかなわぬ時は、指もしくは楊枝的器具にて、補修工事をこまめに行うといったことが必要である。

ケチャップも同様な状況を引き起こすが、気にしてはいけない。

逆に少なくなっていくほうが、ソーセージの味が生きていいと考えるからである(まあ最初から抜いてもらうという手もあるが)。

最後にトッピング問題を解決したい。

レリッシュ、キャベツ、ザワークラウトが主な参加者だが、これらをこぼさず食べることは、至難の業である。

問題は、ホットドックを食べ終えた後、こぼれた参加者を、拾い集め、いじいじ食べなくてはいけないことにある。

やはり最後の一口は、ホットドックそのものを食べたい。

それゆえ、こぼれたトッピングは常に拾い集め、戻してやる配慮が必要である。

もちろん最後の一口は、こぼれない程度の少量が、上部に乗っている状態を作り出す。

また、まんべんなくトッピングがある場合は、少し中央部に寄せておくという手法もある。

これにより最初と最後は、シンプルなソーセージとパンの出会いが楽しめる。

本当は、溢れるほどレリッシュなんかを乗っけて、こぼれるのを気にせず、バクバク食べるのが正解である。

こぼれたのは無視するのが正解である。

しかし、どうしても無視できない几帳面か、貧乏性に生まれた方は、こうするしかないのである。

ボクが、初めてホットドックのうまさに目覚めた、ドームになる前の後楽園球場のそれは、ケチャップ、マスタード、刻んだピクルス、刻んだ生玉ねぎを、自分の好きなだけのせられる方式だった。

いつも引力の限界に挑戦し、のせられるだけのせ、その場でかぶりついた。

あの時は、床にこぼれるもったいなさが、この上ないゼータクで、妙に興奮したものだ。

パンの薄茶、玉ねぎの白、ピクルスの緑、ケチャップの赤、辛子の黄色、そしてソーセージの赤色! 鮮やかな彩も、子ども心にごちそうだった。

それに比べ、今の後楽園球場も他店も、トッピングが定量である。

写真は、サンフランシスコジャイアンツの本拠地、オラクルパークスタジアムのホットドックで、レリッシュ盛り放題である。

せめてホットドックのトッピングと立ち食いそばのネギは、好きなだけかけたい。

それは今の世で、贅沢な願いなのだろうか。