ブラインドワイン1

寄稿記事 ,

無骨である。愛想がない。

エチケットも裏書きも、瓶口のシールもないボトルは、黒々として不気味である。持てば、ずしりと重い。

しかも、エチケットの糊がついていて、ベタベタとする。

あまりにも素っ気なく、飲む気が起こらない。普段我々は、いかに視覚効果に頼っているのだろうか。

さあこれから、氏も素性もわからぬこいつを、一人で飲み干す。一切の既成概念を排除して、裸でつきあう。

ブラインドテイスティングではない。国も産地も生産者も葡萄品種も、一切推測しない(できないという話もあるが)。

いわゆるワインの表現用語や常套句は使わず、じっくりと飲んで、感じたままを綴っていく。

一人の酒好きのおじさんとして、こいつと過ごす。わかるのは、750mlであること。ワインであること。

はたして酔えるのだろうか。ロマンは生まれるのだろうか。

コルクを開け、ワイングラスに注いだ。白であった。実は、赤だと思っていたのである。

黒に近い濃緑色のどっしりとした瓶から、勝手に赤だと思っていたのである。冷やし過ぎてはいけないと思い、14~6℃(たぶん)にしておいたが、白であった。

男性かと思ったら、女性だったのである。こりゃあ出だしから愉快だね。

水のような透明感に、ほんのり茜色が刺した白ワインを、一口飲んだ。ううむ。素朴と優しさがある。

手がふくよかで柔らかい女性と握手を交わしたような、安堵感がある。手の感覚の奥に、実直さがあって、それがどうやら、安堵感を膨らませている。

てっきり赤だと思っていたので、焼いた牛肉と生ハムを、用意していた。しかたなく合わせてみるが、以外にもこのワインは拒否しようとしない。

この白は、ツンと気取っていないし、相手を選ばぬ許容力がある。

サラダ菜のサラダを用意していたので、ゴルゴンゾーラピカンテを、千切って混ぜてみた。うん、いいぞ。チーズが甘く感じられる。いい奴だぞ。

茜色に輝く液体は、すいっすいっと軽快に吸い込まれて、4杯ほど飲む。

しかし瓶自体が重く、真っ黒で透明度が低いため、どれだけ飲んだかわからない。

今は19時を回ったが、そうだなあ、似合う時間帯は夕方で、季節は、初夏あたりがいいかな。

恐らくもう半分は飲んだろう。ワインはやや温み、苦みや複雑さが出てきた。

雑味といっても、それは土や葡萄のたくましさであり、豊かさである。複雑な大地の息吹である。

最初の安堵感がもたらす静けさから、本来持っていた熱情が、次第に顔を出してきたのか。

そのとき、突然鶏が食べたくなった。塩蒸しにした、鶏の胸肉がいい。

淡い滋味が伝わる、しみじみとうまい鶏を食べたい。そのうま味とこのワインを、引き合わせたい。

出来れば鶏は、皮が薄く、品がありながらうま味がたくましい、香港の龍崗鶏がいいな。

脆皮鶏という、熱い油をかけながら火を入れた、パリパリの皮としっとりした皮を楽しみながら、このふくよかなうま味を合わせるのもいいぞ。

あるいは、鶏ひき肉に調味した出汁を入れ、じっくりと火を入れた、鶏そぼろもいいな。

酔いがほんのり回ってきたせいか、次々とマリアージュの名案?が浮かぶ。

とにかく鶏などの、品が良い滋味を口に満たしながら、ゆっくりとこのワインを飲みたい。

では誰とこのワインを飲みたいか? 実は飲み始めた時には、一人でもいいと思った。

しかしワインの素性が見えてくると、お相手は、ワイン好きだけど、マニアではない友人と飲みたいと思った。

ワインの感想を細かく語るのではない、おいしいねの一言で分かり合える友人である。恐らくワインの実直さが、そう感じさせたのかもしれない。

しかし終盤にかかった今、目の前には、唇がぽってりと厚く、情が深いがさばさばとした女性が、素敵な笑顔で微笑んでいる。

笑顔になるとえくぼが現れ、少女のような顔になる女性が、座っている。

なにもしゃべらず、微笑む顔と、見合った目だけで会話をしながら、鶏肉に齧りつき、肉汁を滴らせながら、このワインを楽しみ合う。

いいなあ。温度が温んで、雑味が顔を出し、豊かなる大地の包容を感じ始めたせいかもしれない。

優しさに満ちながら、人に媚びない、素直で芳醇なうま味が空感じられるからかもしれない。

その感覚を誰かと共有し、共感したいと思い始めた時、自然に浮かんできたのが、先ほどの女性だった。

流れるBGMには、なにがいいだろう。そうだキース・ジャレットの「ザ・メロディ・アット・ナイト・ウィズ・ユー」がいい。

素朴で純砂なメロディが、次第に美しさと輝きをましていく。妻へのクリスマスプレゼントとして演奏された曲は、静けさの中に、愛情が滲んでいる。それがこのワインと似合う。

自然体の純粋無垢な感情の中に、熱情を秘めている演奏が、まさにこのワインである。

我々の感情をそっと押し上げ、温かく包み込むところも共通している。

最後の最後にワインは、少しだけ妖艶さも感じさせた。

そうして最後の一滴は、別れを惜しむように、ゆっくりと喉に落ちていった。

いい夜を過ごせたかな? 穏やかな口調で聞きながら、静かに静かに消えていった。