自爆を誘う料理

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  • ダイシン百貨店

  • 神保町の喫茶「ロザリオ」

  • 宮崎空港でのナポリタン

  • 五反田「グリルエフ」

  • ダイシン百貨店

  • 神保町の喫茶「ロザリオ」

  • 京都松尾の喫茶店

ナポリタンは自爆を誘う料理である。
料理屋に出かけようとしている時、あるいは料理屋を出て駅に向かっているとき、ふと「ナポリタン」の文字を見かけると、無性に食べたくなって居ても立ってもいられなくなる。
「ああ、今すぐに、唇をケチャップで汚したい」。
我々世代にとっては、パスタ料理誕生以前のご馳走であり、甘い誘惑であり、癒しであった。
大学時代、これから厳しい練習を迎えるやるせなさを前に、池袋の喫茶「300B」で食べるナポリタンは、安息の味だった。
また、夜に「マダムシルク」で食べるナポリタンには、蜜の味がした。
友人の山口君は、辛いのが好きで、大盛りにタバスコを半分かけるのが、一つの芸だったなあ。
300Bで食べようとした瞬間、友人がくしゃみをして、灰皿の灰がナポリタンに降り注いだ悲劇もあったなあ。
麺は太く、アルデンテとは無縁であること。タバスコと粉チーズが必ず添えられること、出来ればアルマイトの楕円の皿に盛られること、具はハムにピーマン、缶詰のマッシュルームであること(玉葱も可)。フォークはナプキンにくるまれて出されること。
味に関係ないこともあるように思われるかもしれないが、アルマイトのわびしさはナポリタンの色を輝かし、ナプキンをほどきながらはやる心を解放してやることは、大事な儀式だった。
そういう意味では、今は無き神保町の喫茶「ロザリオ」のナポリタンは、純正であった。
おばあちゃんが厨房で作り、ゆったりとした歩調で運ぶ姿を見ているだけで、胸が熱くなる。
これも今はなき大森のダイシン百貨店のナポリタンの皿は、アルマイトではなかったが、客の少ないファミリーレストランの悲しさが、ナポリタンの味を膨らますのであった。
一方こんな思い入れを、さらりとうっちゃるナポリタンが、地方にはある。
宮崎空港でのナポリタンは、出された瞬間に気が動転して、目眩がしたし、京都松尾の喫茶店でのナポリタンを前にしては、途方に暮れる自分があった。
東京でも、五反田「グリルエフ」のナポリタンが現れた瞬間に、気が遠のいたが、下にトマトソースが隠れているのを知り、安堵をした。
ナポリタンを食べてばかりでは、生きていけない。だが、
ナポリタンのない世の中では、生きていけない。