ナポリタンの大盛りには哀愁がある。

ナポリタンの大盛りには哀愁がある。
牛丼の大盛やチャーハンの大盛は、無謀や無能という言葉が浮かんでしまうが、なぜかナポリタンにはそれがない。
「食べきれるかどうか自信がないのに頼んでしまった」。
「ナポリタンは大盛りを食べることが正論であれ」。
「男子たるもの、大盛を食べんで世間に顔向けができるのか」。
といった逼迫感があって、それゆえの哀愁が漂う。

隣の老紳士(推定75歳)がナポリタンの大盛を食べている。
仕立ての良さそうなスーツ姿で、ネクタイをワイシャツの中に入れ、紙ナプキンを襟元に挟んで、大盛りに挑んでいる。
この店の大盛は、ナポリタン界のチョモランマである。
おじさんは、山頂から手をつけ、ゆっくりとしたペースで、時折チーズをかけながら食べ進む。
ゆけ、おじさん、ゆけ!
おっと、半分くらい進んだ時点で、タバスコに手を伸ばした。
無造作にふりかけるのではなく、料理人が塩を振るときのように、慎重に目を凝らしてタバスコの瓶を揺らしている。
そのとき、ふっと口元が緩んで微笑んだかのように見えた。
辛いの好きなのね。
やがて13分で食べ終えたおじさんは、すぐに席を立ち、お金を払って、夜の街に消えていった。
素敵だなあ。(時間を計っている僕もどうかと思うが)
腹が空いている様子も、がっつく気配も一切なく、泰然自若として食べ終える姿に、大盛を食べなくてはいけないという使命感が滲み出ていた。
料理に対する敬意がある、
ナポリタンの大盛を、こんなにスマートに食べる人を初めて見た。
僕もあと10歳年とって、こうして大盛をスマートに食べられるだろうか。
遠く果てしない、ナポリタン道に、めまいがした。