タイカレーの洗礼を受けたのは、今から二十数年前の1979年、中目黒にあるチャンタナだった。
東京にタイ料理店が、まだ三軒しかない時代である。
そんな時代であるから、その衝動たるやすさまじかった。
インドカレーには慣れ親しんでいた僕は、辛さにはちょっと自信があり、なめてかかったからたまらない。
インドカレーが脳天を直撃する辛さなら、タイカレーは唇から胃袋をつらぬく辛さで、檄辛の胃カメラを飲まされているような痛みに悶えた。
汗、鼻水、涙を出しながらもやせ我慢していたのだが、店を出た途端に耐え切れず、卒倒しそうになった。
ところがしばらくたつと、檄辛へのあこがれと、インドカレーにはない香りと甘みに引かれて、無性に食べたくなってくる。
タイカレーには、こうした危うい魔力がある。
人を虜にさせ、常習させようとする陰謀がある。
ではそんな危険な世界に誘う、すぐれた三軒を紹介しよう。
タイカレーの魅力は、甘・辛・酸・塩の四味の調和と、様々なスパイス、ハーブ、香味野菜が重なり合った、複合的香りにある。
その事実を痛烈に実感できるのが、「ピーッキーヌ」だ。
まずなにより香りがいい。
ふんだんに入った新鮮なハーブ類と、二十数種の生スパイスやハーブを駆使した自家製ペーストによるカレーは、香りが豊かで、食べ手を眩惑する。
もう一つの魅力は、バラエティの豊かさにある。
苦瓜のカレーゲーンマラや、空豆大の苦いサトー豆を使ったサトーなど、珍し
い逸品もあって、四味に苦味が加わった五味の複雑性が、あなたをさらなる高みへと連れていってくれるのだ。
バラエティの豊かさなら「ゲウチャイ」も負けていない。
例えば、淡白なナマズの身と強い発酵臭を放つ酢漬け筍の酸味が混じりあった、檄辛レッドカレーケーン・ルアンや、生胡椒と鳥肉、袋茸によるゲーン・パー、苦味のあるマクポアンの実が入ったゲーン・ペ・デーン、揚げピーナッツと豚肉、ジャガイモによるゲーン・マサマンなど、他店ではお目にかかれない、郷土色の強いカレーに出会うことができる。
最後の紹介は、タイカレー専門店「メーヤウ」だ。
カレーは、甘口、辛口、大辛の三種類で、おすすめは、最も味わいが深い大辛。強烈な辛味に痛めつけられた舌を、ジャガイモの甘みでいたわりつつ食べ進む、毎日食べに来る客もいるほどクセになるカレーである。
そうして上級者になれば、ソースを大盛りにする、辛口と大辛の両者を頼んで混ぜる、卓上のプリッキーヌ(タイ産檄辛小唐辛子)をかけるといった、つきせぬ楽しみも待っているのだ。