焼かれているのに命の気配がある。
しっとりとキュイされた肉は、どこまでもしなやかで、噛んだ瞬間に、いけないことをしてしまったような禁断があった。
ロティしてから解体し、それぞれの個体に合わせて炭火で焼き、塩加減を調整した小鳩である。
幼い色気を湿らせながら、小鳩が口の中でゆっくりとほどけていく。
エレガンスの極みを感じさせる肉に合わせたのは、サルミソースであった。
アバ(内臓)などを使った古典的なソースが生む、混沌とした濃密が、肉にからまっていく。
ソースに入れたというクリオロが、底が見えぬほどの深みを生み出す。
繊細で、儚さを感じさせる肉と妖艶を醸すソースの対比が、精神を刺激してコーフンを呼ぶ。
これぞフランス料理である。
官能を揺する料理である。
「久しぶりに作りました」と、伊東シェフがいう。
パリでは作らず、日本に戻って古典を作る。
そこには、繊細かつ完璧なるキュイソンがあった。
小鳩に敬意を払った、優しく凛々しい加熱が、命の価値を美味へと繋げている。
料理が持つ美しさに陶然となりながら、次第に無くなっていく皿に、寂しくなった。
神楽坂「レテール」
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