そのワインを口に含んだ瞬間、宇宙とつながった。
おいしい、香りがいい。なめらかな、味が深い。人間が発するどの言葉も似合わない。自然の、自然のままの呼吸が伝わる味わいは、優しくもあり、豪胆な怖さも秘めている。
それこそが自然なのだよと、教えてくれる。飲むほどに土を感じ、風や太陽を身近に思う。心が安らぎ、素朴な料理が食べたくなる。
ジョージアワインの作り手の一人、ソリコが作る「アワ・ワイン」である。
ジョージアワインは、世界最古のワインと呼ばれている。ちなみに、グルジアはロシア語の発音なので、現地の人はジョージアと英語名で自らの国を説明する。国もジョージアと呼んでほしいと求めているという。
世界最古と呼ばれる所以は、1987年にグル八千年前のワインの痕跡が発掘されたからである。また一方で、二千五百万年前のブドウの葉の化石も発見されているという。
その製法もまた特殊である。なにしろ紀元前四世紀頃より、まったく変わっていない。2013年には、その製法が、ユネスコの無形文化遺産に登録された。
最も特色的なことは、ブドウの果汁を、木の樽やタンクではなく、地中に埋めた粘土の壺「クヴェヴェリ」に入れて、発酵させるのである。
もちろん全工程、機械には頼らない。摘み取ったブドウを足で踏み潰し、果汁と果皮、種をクヴェヴェリに入れて、板か石の蓋をし、砂か土をかぶせて、約6か月発酵熟成させるのである。
このように、本来果汁のみで発酵させて作る白も、果汁と種を入れた「醸し発酵」させる。そのため、色は茶褐色に仕上がり、しかも力強い。保存料の二酸化硫黄を入れずとも、劣化はしない。
各家庭ごとに、長年作られてきたので、究極の地酒とも呼ばれ、全人口の80%を占める農民の中で、作れない人は皆無だそうである。
ソ連時代は、農地の95%で計画経済に沿って農薬などを用いた作物を作り、5%の土地では、昔ながらのやり方で完全無農薬の作物を、自分たちが食べ飲む分だけ作ってきた。ワインもそうして受け継がれてきた。
そんなジョージアワインの生産者たちが今年、自然派ワインの祭典「フェスティヴァン」に合わせて来日した。
彼らに会い、なんとしてでも聞きたかったのは、「ジョージア式宴会」のことである。
ジョージアでは宴会が、特殊な意味を持つ。祝いや葬式、子供の誕生、客人をもてなす、収穫など、様々な機会で「スプラ」と呼ぶ宴会が開かれる。そしてそこには「タマダTamada」と呼ばれる、乾杯の音頭と進行をつかさどる役目の人間がいて、何回も乾杯を繰り返すという。
この伝統的な宴会の話と、タマダの役目を聞きたかったのである。
お話を聞いたのは、「アワ・ワイン」の作り手ソリコ氏と、アメリカ人ながら、ジョージア式宴会に惚れて移り住み、「フェザンツ・ティアーズ」というワイナリーを作った、ジョン・ワーデマン氏である。
ジョージア人は、無類の酒好きである。酒を前にすると、ぐいぐい飲みながら、それぞれが好き勝手に話し、騒いでしまう。そこでタマダという進行役が生まれたらしい。
タマダという言葉は、近世になってできた言葉で、以前は「ルヒニス(宴会の意)ウパリ(全権を持つとか持ち主 神の意)」と呼んでいた。その意味からも推察されるように、宴会は儀式でもありながら、神聖なものだとされている。
そしてタマダは、ただの仕切り屋ではなく、その日その日の宴会の雰囲気と人々の感情を左右する、重要な役目を担っている。山岳地方では、今でも神聖な意味あいが強く残り、、タマダは必ず長老が務めるのが習わしとなっているという。
それではどのように宴会が進むのか見てみよう。正式な宴会では、まずタマダが神への感謝を述べ第一回の乾杯をする。次に総司教へ乾杯。続いて故人への乾杯をし、そして最近生まれたばかりの若い命に乾杯をし、祖国、平和、愛、両親、祖先、それぞれに乾杯をし、それから一緒に宴会をしているそれぞれの個人について乾杯を続けていく。
このそれぞれの乾杯の時、タマダが何を言うかが、一番重要なのである。名タマダになれば、指揮者のように、宴会を操り、参加者の個性を引き出して、ハーモニーを生み出していく。
神、祖国、平和、愛、両親、祖先という不可欠な主題以外は、タマダの裁量である。即興演奏のように、場の雰囲気を読みながら、主題を選び、乾杯を重ねていく。
喜怒哀楽の流れも大切で、ユーモアも巧みに盛り込んでいく。タマダが各音頭の初めに口上を述べ、まず杯を飲み干し、それを受けた個々人が一言ずつ述べて杯を空けるのだという。
タマダは、各口上の主題をどのような理由づけで選ぶかで力が試され、他の者は、その主題をどのように受けて発展していくのか、知性や教養が問われる。ジョージアの宴会は、ただ酒を飲みかわし、談笑する場ではない。まさに知的格闘技の場なのである。
結婚式など数百人規模の人々が集まる宴会にタマダが招集されると、その人物は、一週間前から体力増強に励み、バターなどを大量に摂取していく。時には一晩で、4~5リットルのワインを飲み干せねばならないからである。
プロのタマダも存在し、過去の名タマダが残した、名スピーチ集も発刊されている。
ジョンさんは言う。「アメリカでの宴会は、ただ互いがエネルギーを使って帰っていくものだった。例えば結婚式やお葬式では、誓いや祈りの言葉を交わした後にパーティーが行われる。パーティーになると各人はばらばらになり、それぞれが自分の力を使って帰っていく。しかしジョージアでは違った。
例えばタマダが、故人の人となりをしゃべることによって、全員がその人の経験を追憶していく。また各個人を巧みに紹介し、乾杯し、各個人が受けることによって、一つのユニティーになる。これは素晴らしいことではありませんか?」
「宴会はそこに参加している人たちの鏡なのです。お母さんへの乾杯。子供への乾杯と続けていくと、宴会が終わるころには、隠すものがなくなる。それぞれがどういう考え方や性格をし、どのように暮らし 性格までわかり、宴会することによって知ることができる。また宴会に加わることで、ジョージアの伝統文化を知り、いろいろな人への愛を学ぶことができる。僕がひきつけられたのは、この一体性だったのです」。
キリスト教文化が根強い欧州では、個人主義が徹底している。だからこそ民主主義が生まれた。そんな欧州の中で、共同体を重視するジョージア文化は、きわめて珍しい文化といえよう。
欧米で乾杯するときに交わす、チアーズには、喝采の意があり、サルーやサルーテには、敬礼や手や頬に挨拶のキスをする意がある。しかしジョージアの乾杯時の「ガウマルジョス」は、「彼・それに勝利あり」という意味合いである。
ジョンは続けて言う。「ワインを作っている普通の農民に、こんなおいしいワインを作るなんて、才能があるね言うと、大体同じ言葉が返ってくる。いや自分は真ん中にいるだけさ。土が作って神が与えたものを自分が少し手を加えるだけでこうなる。自分に才能があるわけじゃない。自分は生かされ、間にいる存在。媒体、伝達者で、後世に伝えていく」。 ジョンの奥さんは歌手で、彼女にも歌がうまいねというと、同じような言葉が返ってきたという。「いや自分に才能があるのではなく、先祖から伝わって来たものを、自分は伝えるだけなの」。
きわめて人間的な、愛と敬意に満ちた民族である。だからこそワインにも思いやりがにじみ出る。
ジョージア人が作るワインが、資本主義が爛熟した世界で、最も注目されているのは、当然なのかもしれない。