またやってしまった。
せっかく並んだのだから、全部盛りにしよう。QBハウスで15分も待たされたのだから、2㌢ではなく3㌢切ってもらおう。
あなたは、そう考えてしまうことがないか。
浪費時間と注文は関係ないのだが、浪費を正当化してあげようという、意味のない思考が働くのである。
なにしろこの日は、12時に食べるため、9時にホテルを出て電車に乗り、朝10時に店に着いて名前を告げた。
なぜなら前日電話をした時に、店の親父からそういわれたからである。
しかも今回は二回目の挑戦だった。
前回は電話せずに出かけ、店の前に立つと、臨時休業の張り紙があった。
右も左もわからぬ瀬戸の町で、呆然と立ち尽くした。
それから7ヶ月経ち、万全を期して、電話で営業を確認し、開店2時間前に店に着いたのである。親父が、トーストとコーヒーで朝食をとられていた。
名前を告げると優しい口調で、「12時に店を開けますので、いらっしゃってください」といわれる。
喫茶店で暇をつぶそうにも店がない。ようやく見つけたお茶屋のイートインで2時間粘った。
そして鰻屋に向かう。
名前が呼ばれて注文を聞かれた時である。つい「うな丼上お願いします」と頼んでしまった。上は一匹半、並は一匹である。値段は、3800円と2700円だが、味を確かめるなら並で十分ではないか。
ああそれなのに、朝からの浪費時間を正当化しようとしたのですね。まだまだ素人である。
親父は、店頭で鰻を裂き、串を打ち、焼き始める。焼いている間も、裂き、串を打つ。時折焼き具合を見て、裏返し、鰻を揉む。
この、裂き、打ち、焼き、揉むという一連の作業が繰り返され、最後にタレを潜らせてから、焼き上げ、丼に乗せられる。
さあ運ばれた。蓋を開ければ、一匹半が重なっている。
食べにくいので、一端半匹分を蓋に置いて、掻き込み始めた。
甘い。猛烈に甘い。鰻の脂を遥かに越えていく、タレの甘さである。
焼きはやや雑と言えば雑なのかもしれないが、タレの甘みに圧倒されて気にはならない。
この甘さは、タレが丼つゆとして染みた丼でなく、蒲焼きを頼み、白ご飯で受け止めた方がいいかもしれない。
鰻高騰の時代に、この値段は安い。安いが、甘さの攻撃に、私の労力は軽くいなされた。
それが人生なのだろう。
甘さを受け止める余裕がなく、甘さが染みた御飯を全部食べる勇気もなく、まだ半端者なのさと呟きながら、箸を置いた。