大阪へ向かう道中で下車して、またまた京都「殿田」へ。
いつものお父さんがメニューを持ってきて「たぬきが人気です」というので、「はい何度もいただいてます」と返すと、「そうですか。それはそれはありがとうございます」と、笑う。
さあ今日は寒いから、けいらんかのっぺいだなと、悩みに悩み、のっぺいを頼んだ。
ここの「のっぺい」は、椎茸飴煮一つと蒲鉾が3切れである。
まずはつゆを一口。
あんでとじた熱々のつゆが、出汁のうまさを含みながら、とろりと口の中に広がり、喉に落ちて、胃袋を熱くする。
僕はこの瞬間が好きなのだ。
あんが流れてきて、体に満ち始める幸せが好きなのだ。
うどんをすする。
6〜7回噛めばなくなってしまうやわやわのうどんは、主張がない分、何事もなかったかのように、身体にすっと馴染んでいく。
次に蒲鉾を一切れ食べ、生姜を溶く。
丸い味のつゆに生姜の辛味が走り、優しいような厳しいような表情を見せる。
この、頬を撫でながら同時に、頬を叩かれている感覚がたまらない。
人間というものは、SとかMとかに分けられるものでなく、その両方を内在させていると思う。
そんなことを考えた。
そしていよいよ椎茸に手を伸ばす。
分厚い椎茸を噛めば、甘い汁がちゅっと飛び出して、頬の内側を流れる。
「ふふ」。
その瞬間、思わず笑ってしまったのを、隣の人に気づかれたかな。
椎茸は、合間合間で、少しずつかじりながら、食べていこう。
具の種類が少ないため、椎茸への愛おしさが募っていく。
うどんは途中から、レンゲにつゆを満たし、そこにうどんを入れて、つゆと一緒にすすりこむ。
つゆの中を、千切れたうどんが泳いでいく。
素ですするより、こうした方が、うどんは生きる。
こうして、うどんも椎茸も、蒲鉾もネギも、大事に大事に何回か分けて食べるのだよ。
やがて時間は緩み、のたりのたりと進んでいく。
時折思う。
こうして1人、誰にも気にせず、ゆったりと京うどんをすするために人生はあるのではないかと。