皿の上には、3つの要素しかない。
マナガツオ、ズッキーニ、ソースである。
それなのに、なんでこんなにも心が揺さぶられるのだろう。
心の奥から、「おいしい」と、思えるのだろう。
皿から、甘く、酸っぱい、幸せな香りが立ち上って、鼻先をかすめ、顔を包み込む。
魚ははらりと崩れ、湯気をくゆらせる。
口に運ぶとその肉体は、空気を含んでいるかのように、ふわりと小さくなり、優しい甘さをにじませた。
今度はソースをたっぷりとからめ、口に運ぶ。
繊細な、気品のある甘さを称えるように、酸っぱいソースが閾値を上げる。
その瞬間崩れ落ちた。
体のすべての力が抜け、魚とソースが一体となった丸い滋味が細胞の中へ染み入っていく。
煮詰めたシェリービネガーとフュメドポワソンによるソースのうまみは、どこまでも深いが、うますぎることはない。
ソースに自我があって、マナガツオの本質を超えないようにしようとする愛がある。
魚とソースの共鳴なとという言葉を超えた、自然がある。
添えられたズッキーニは、やけどしそうなほど芯まで熱々で、主役を食べた興奮を邪魔しない。
三者が互いを認め合いながら、高みに登っていこうとする瞬間に、気を失いそうになった。
やがて皿の上は、無にもどっていく。
充足させられながらも、寂しい。
さようなら。
だが、口の中には永遠へと続く甘美が、漂っているのだった。
Haragatous done au poiche
香川産マナガツオのロースト ペッパーソース
「コートドール」にて