どこにもない餃子

食べ歩き ,

どこにもない餃子である。
そしてこの餃子の店は、年末まで予約満席、来年一年休む為、今から一年半、いやその先も食べられるかどうか、わからない。
「僕には決して出来ない」
この餃子と料理を食べた男性料理人は、口を揃えていうという。
名物水晶餃子の中身は、豚、エビ、白菜、中国クワイ ニラである。
だがそのどれもが主役とならずに、丸く抱き合っている。
それが蝦餃のような、プリリとした皮に包まれているのだから、たまらない。
食べていると何か、心が沸き立つような痛快がある。
蒸し餃子と焼き餃子の、両方の良さを併せ持った餃子でもある。
一方まだらなイカ墨餃子は、イカと白菜の漬物に少量の豚肉。
水餃子は、エビと香菜に、少量の豚肉。
すべての餃子のバランスが良いのである。
モチッとした皮が弾けると、エビやイカの甘みが流れ、そこに白菜漬け物の塩気や香菜の香りがほんのりと漂う。
餃子に慈愛がある。
うまくしすぎない、勇気と誠実がある。
他の料理もそうである。
前菜は、干し胡瓜のごま油あえに、 リンさんが育てたカボチャサラダに、鮭のかぼす風味。
優しい塩気でしみじみとおいしい、平茸と鯛のスープ 豚肉スープ
大根の甘さがじっとりと広がって、目が細くなる、大根の春巻
淡い淡い味付けにされた。中国湯葉腐竹と甘長唐辛子、海老の炒め物。
そして豚バラ肉の黒酢酢豚と栗と鶏肉の炊き込みご飯。
これらを、すべて家庭用のコンロとフライパンで作っていくが、流麗な手捌きで、何気なく作り上げる。
気持ちが穏やかになっていく料理とは、このことを言うのだろう。
店主であるリンさんの作る料理には、料理人のエゴや自負は微塵もなく、美味しく食べて健やかになってくださいという想いだけを込め、切り、炒め、味付けをされている。
それは毎日食べても飽きることなく、大地の暖かさを感じる料理なのであった。
松本先生、小山さん、ももこさん、かおりんという豪華なメンツで、楽しみました。
摂津富田「溢彩流香イーサイリューシャン」にて。