~これ以上おいしい干し魚に出会えるのだろうか~
干されているのに、まだ命の気配がある。
吟味したイテガレイに塩をし、天日にさらす。
尻尾からつり下げられたカレイは、太陽に照らされながら、ぽたぽたと、ぽたぽたと、自らのエキスを頭の方へと滴り流す。
74歳になるお母さんが、長年の干物づくりで得た智慧の頃合いで、魚をおろし、頭を外し、そうっと骨だけを抜く。
その干物は、丁寧に、丁寧に焼かれて、今目の前にある。
箸を使うのももどかしく、手で持って齧りついた。
ああ。しんなりとした身に、ふわりと歯が包まれる。
これは生だ。いや干し魚だ。
干して凝縮した味わいがあるのに、生の食感もある。
塩をしていながら、塩気を感じさせない優しさがある。
生と干しの間をたゆたう味には、尊い気品があって、心にずしんと響く。
なんたる干し魚だろう。
さらに。
頭はパリリと焼かれて登場した。
「キスするように食べてください」というご主人の言葉に従って齧りつく。
おう。おう。頭にうま味が集結している。
唇辺りは、アミノ酸の固まりとなって、口の中で爆発する。
「これ以上おいしい干し魚に出会えるのだろうか」。
ふとそんな思いがよぎって、嬉しさの中に絶望が走った。
かに吉にて
~これ以上おいしい干し魚に出会えるのだろうか~
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