イカは怒っていた。
狭い水槽の中で、「お前らか。俺を食うのは」と、鋭い目で睨みつける。
水槽から取り出されたアオリイカは、刺身にされた。
皮を厚く削ぎ切り、透明な刺身となって運ばれる。
鮮度が高い透明なイカは、味がない。
透明から白色に変化しないと旨味は出ない。
まず出されたのが、耳と胴体の細い部分である。
手前の耳から食べて、目を丸くした。
前歯が、32枚あるというイカの下皮を断ち切ると、そのままイカに抱かれていく。
そして2回3回、4回5回と噛むうちに、ゆるゆる甘みが滲み出る。
次は胴体を食べた。
そこには、今まで食べてきたイカの食感はない。
コリッ、クリッもなく、しんなりもない。
ぐっと前歯に力を入れると表面が裂け、イカに包まれる。
イカの中に歯が埋れていく感覚である。
やはり甘みが出た。
耳より濃い甘みがそこにはある。
濃いが、水の甘みのような、純粋がある。
どこまでも澄んだ、甘みが重なっている。
今まで食べた透明なイカはなぜ味がなかったのだろう。
あまりにも痺れたので、おかわりをした。
胴体の太い部分である。
ああ。
さらに歯がいかに抱きすくめられる。
さらに甘みが濃い。
これがイカの生態なのか。
イカの神秘に翻弄された僕は、「おいしい」ともいえずに陶然となって、中空を見つめることしかできなかった。
松山「馳走屋河の」にて