この輝きを見てほしい。
手をつけるのをためらわせる、毅然とした艶がある。
皿からたち上る香りに陶然となりながら、まずソースを一口すくった。
ああ。深い。
深淵が見えぬほど深いうまみが、舌を抱きかかえる。
それほどに濃く、深いうま味なのに、どこまでも自然で、しつこくなく、さらりと口から消えていく。
美しいうま味の余韻だけを頭の中に残しつつ、なにごともなかったように消えていく。
とてつもなく妖艶だが、愛くるしい。
甘美のさざ波が次々と打ち寄せては、引いていく。
甘美をまとったリードヴォーは、ふんわりと舌に着地して、てろんと崩れていく。
形をなくすと同時に、切ない甘みを滲ませて、深いソースに溶けていく。
その瞬間、刹那にこそロマンがある。
フランス料理の、デカダンスがある。
「リードヴォーはゆっくりゆっくり火を入れるため、二日がかりで仕込んでいます。ワインですか? ワインは水のように使っています。それでないとこの味はでない」。
「アクや脂をひいて煮詰めるだけでなく、全体の4割は捨ててしまう。そうしないと雑味が残って、この自然な品のある後口は生まれないのです」。
三宗シェフは、端然と語られた。
トリュフをまぶした、ガルニのヌイユや、リードヴォーの下に隠した、精妙な量のフォアグラとともに、恐らくこの贅沢は、真の贅沢は、もうどのレストランでも味わえないだろう。
エドワード7世がパリを訪れた時に作ったという、マキシムドパリのスペシャリテ「リードヴォーのエドワード7世風」。
連れの女性が、「夢見心地でした。今日は一日中エドワード7世の気分で過ごせます」。といったら「では、王妃のアレクサンドラになられた気分ですね」と、すぐに切り返した菊地さんのサービスも素晴らしい。
「シェ・イノ」にて。