この地でしか生まれない料理。

食べ歩き ,

それはエビなのに、熟したマンゴーを感じさせた。
シラサエビ(ヨシエビ)のビスクである。
他のビスク同様、甲殻類の凝縮したうまみを感じるものの、重さが一切ない。
舌の上をサラサラと通り過ぎては、消えていく。
不思議なことに、飲み終わった余韻に、マンゴーのような果熟感が漂うのである。
シラサエビは、車海老路比べて味の足が早い。
この味わいは、新鮮な、極めて新鮮なシラサエビだからこそ生まれるものなのだろう。
僕はその余韻に恋をした。
3キロのサザエをリゾットにしたのだという。
肝はない。
上にはソテーした身も乗っている。
「新鮮ゆえに肝も美味しかったのですが、サザエの身の味を邪魔して染むと思って」入れなかったのだという。
サザエは柔らかい。
シャクッと歯の間で弾みながら、柔らかい。
やがてr澄んだ甘みが滲み出る。
穏やかな、安寧な甘みである。
そんなサザエを、米の甘みがそっと抱きしめていた。
河豚のアクアパッツァだという。
ふぐで白湯を取り、魚を炊いた。
塩は一切加えていない。
きれいな味わいのスープに、唸っておしだまった。、
フグを噛めば、それは肉である。
体脂肪率が少ないアスリートの肉体的食感で、ぐいっと歯に食い込んでくる。
噛め。もっと噛めとフグから言われるままに噛んでいくと、純を極めたうまみが、湧き出てくる。
白子は変わらず色っぽいが、雑味がなく、てろんと舌に甘えては、すうっと消えていく。
これこそが、収穫したてのフグ、いや海で泳いでいるフグの純真である。
余計なものが、微塵もない。
澄み渡った蟹の滋味が、米一粒一粒に吸い込まれている。
蟹が出過ぎることも、コメが出過ぎることもない。
地平線のように丸く、米と蟹がなんの差し障りも、へだたりもなく、抱き合っていた。
もしここに余計なものがあるとしたら、それは我々人間である。
そう思うほど、ここには無垢な、圧倒的な自然が横たわっていた。
藤本氏が最良な状態で収穫し、生かした自然を、その場で峯村シェフが料理する。
余計なことはできない。
どれだけ味を足すか、足すまいか。
食材が新鮮であればあるこそ、精神的重圧がかかるのだろう。
だがすべての料理人が望む仕事でもある
総て、ここでしか食べることが叶わない味であった。
約一年後のオーベルジュの完成が待ち遠しい。