この人に会いに行くためだけに、また、函館に訪れよう

日記 ,

「肝臓がフォアグラになってね。ドクターストップがかかりました」。ご主人は、人ごとのように笑われた。
「フランス料理はやめなさい。とドクターに言われてね。でも料理人は諦めきれない。そこで、なら天ぷら屋になりますと先生に言ったんです」。
今はなき赤坂「楽亭」に初めて行き、なんてかっこいのだろう。なんと天ぷらという料理は美味しいのだろうと思ったのがきっかけだったという。
それからまだ茅場町にあった「みかわ」に行って衝撃を受け、「山の上」から独立したばかりだった「近藤」へも行って、すっかり天ぷらの魅力にはまった。
そんな時ドクターストップがかかり、咄嗟に思いついたのが、天ぷら屋への転身だった。
だがフランス料理人としての経験しかない。
試行錯誤の上に、なんとか形が出来、人に話すと、すべての人から反対された。
「なんでそんな安い料理屋をやるの?」
「札幌だって成功している店が、一軒もないのに、函館でやってもうまくいくはずがない」。
天ぷら屋が多いのは、東京だけである。
他の都市は、人口比割合で、極端に少ない。
贔屓だった人間国宝の藤原雄氏にも言われたという。
「70万人人口の岡山でも二軒出来て、二軒とも潰れてしまった。それを25万都市の函館でやるというのだから、困難な道のりを覚悟しなさい」と、言われたという。
だが、周囲の反対を押し切った天ぷら屋も28年経った。
「うちは独学で、江戸前の仕事には及びませんから、お口に合うかどうかわかりません」。
そう言いながら、「天亭」や「みかわ」の天ぷらを目指してきたのだろう。
衣は優しく、きっちりと揚げきりながら、天だねの味は優美で優しい。
甘鯛やメゴチ、ウニの紫蘇巻きや厚いサツマイモ、白子やズワイガニの湯葉巻き、ホタテの海苔巻きなど、今では他の天ぷら屋もやっている仕事を、真っ先に考案し、出してきた。
すぐ潰れると言われた店は、予約が極めて至難な人気店となっている。
数年前には、交通事故にあった。
車に跳ねられ敷かれ、重症を負った。
店を続けるどころか、今後は社会生活もままならないと宣告されたほどの病状だったという。
だが、医者から申告を受けた時、なんとしてもまた店をやってやると強く誓った。
そして4ヶ月後、再開したのである。
医者から、1%の奇跡だと驚かれたという。
事故の影響で左耳があまり聞こえず、立ち仕事が辛くなった。
「左耳が聞こえないでしょ。だからお客様から話しかけられても気がつかない。よく愛想が悪いとか、不機嫌だとか、嫌われたと言われます」と、また人ごとのように笑われた。
笑顔が素敵なご主人は言う。
「事故後は、今までお世話になり、応援してくれたお客様への恩返しと思って仕事をしています」
そのため、間も無くして一旦店を閉め、お世話になったお客様だけを相手にする、新たな飲食店の形を考えているという。
我々は目の前にある料理の「おいしい」に目を向ける。
しかしその向こうには、人がいることを、忘れてはいけない。
我々は、人の哲学を、職人の生き様と生きてきた時間を、人そのものを食べているのだ。
天ぷら職人田沢宏一氏75歳。
こんな職人が日本にいることが嬉しい。
この人に会いに行くためだけに、また、函館に訪れよう。