いくらの天ぷらである。

食べ歩き ,

いくらの天ぷらである。
ここは高知で、いくらとは無縁なのに、好奇心が優って、思わず頼んでしまった。
おお。見事な天ぷらになっているではないか。
しかもいくらに火が入って、変色している部分が、ほぼない。
早速食べてみる。
うむ。いくらは天ぷらとなって、控えめな性格になったようだ。
普通は加熱されると味が膨らむものだが、これは逆に薄まっている。
それにいくらに気を使いすぎたのか、衣がサクッとせず、油切れもわるい。
果たして、天ぷらにする必要があったのか?
生のいくらに恨みがあるのか?
トラウマがあったのか?
無類の天ぷら好きなのか?
きっと思いついた時は、俺って天才かもと思ったに違いない。
しかし天才とは、極々僅かな人にしかおりてこない天賦の才であることを、人は知らない。