写真は撮ったが、意味をなさないことはわかっていた。
いくら機械文明が進んで、カメラの機能が進化しても、人間の目には近づけない。
何回も映像で見たことがあるサグラダ・ファミリアを実際に見た時も、その圧倒的なスケールに、機械やフレーム、モニターの限界を感じた。
今回もまた、打ちのめされた。
偉大な光景を眼下にしながら、その場にいる恐ろしさを、何度も反芻する。
映像では、風も匂いも温度も、その場に漂う気も伝えてくれない。
風に吹かれながら、百年かけて造られた執念に撃たれ、人間の愚かさと無限の可能性に憑かれ、黙って座り、黙って見つめ、黙考し続けた。
マチュピチュにて。