黙って肉を見つめ、油をかけ、裏返し、触りながら、彼は肉と話している。
「どうだい? いい気分かい? 余分な水分が抜け、肉汁はたぎってきたかい?」
肉を焼く時には、後ろ姿しか見えないが、きっと茂野さんの優しい目つきは、その時だけは誰にも見せない険しい目つきとなって、全神経を集中させているはずである。
同じように焼いているように見えながら、肉の質や部位を読み取り、フライパンのどの位置に置くか、油の量をどうするか、瞬時に判断して焼いていく。
フライパンを持つ彼の指先の神経は、きっと肉の中心まで伸びているのに違いない。
「同じ焼き方ではなく、違いを出して食べてもらおうと思って、サーロインは揚げ焼き、イチボはグリルにしました」。
キャラメル香に抱かれたサーロインは、だれていない脂のうま味と表面の焼かれた香りが抱き合って、甘く、切なく、凛々しく、食欲を煽る。
ガリッとした焦げをまとったイチボは、その猛々しい肉汁と微かな酸や、焦げ茶のほろ苦みが混沌と口の中で渦巻いて、我々の体に眠っていた野生の血を叩き起こす。
きっと、ここにいる全員が心の中で拳を上げ、叫んでいる。
「肉を食らっているぞぉ!! 俺は生きている!!」
それは生きる証であり、生かされている感謝であり、肉を食む根源的な喜びであり、京都14e 希代の焼き師、茂野シェフが与えてくれた、勇気である。