銀座「エスキス」

「勢い」とは力を語るものではない。

食べ歩き ,

「勢い」とは、力を語るものではなく、自我の主張でもなく、意識を傾けるものでもない。

自然の摂理から生まれる、内面への問いかけである。
そのことを、今日教わった。
日本人なら松茸は、香りを立たせるためにもっと加熱するかもしれない。
しかしリオネルシェフは、わずかな火入れに止めおいた。
噛むと松茸から、澄んだ体液が滲み出る。
朝露の如き、かすかに甘いエキスは、舌と上顎と喉を清め、体に染み渡っていく。
松茸の香りに酔っていただけの人間に、命の希少を問いかける。
そして添えられた栗の甘い香りと合わせて目を閉じれば、秋深い森の中に運ばれる。
清廉な風を頬に感じながら、静かな命の鳴動を感じ、自らが生かされていることへの感謝がにじみよる。
これこそが「勢い」なのだと。
白いテーブルには、シェフが書いた文字の紙が置かれていた。
テーマを決めて、何百枚も書いた中から選んだものだという。
料理を盛りつけ、ソースを流すときに、自分のエネルギーが邪念なく、無心で出せるための練習でもあるのだという。
定期的に通うお茶席での、季節を表す掛け軸の文字に感銘を受けて、始めたのだという
あざとさは微塵もなく、意識を越えた無意識が、シェフの実直な「勢い」を、ただただ表していた。