鮎のこと。「ほっぺが落ちる」。

食べ歩き ,

「ああおいしい。鮎を食べると、ホッペタの内側がキュッとすぼまって、よだれが出てくる。これがホッペタが落ちるっていうことなんだネ」。

小学五学年にして鮎が大好物だった生意気なガキ(かくいう私であります)は、鮎がなぜおいしいかを母に説明した。

「なにいってんの、ホッペの内側がキュッとなるのは、たで酢の酸っぱさが効いてるだけじゃないの」。

なるほど、そうかもしれないと思いつつも反論した。

「いやいや、鮎自体にホッペの内側を刺激する力があるんだとは思いませんか」。

「だってこんな淡泊な味わいなのよ。あなたは鮎が好きなのではなく、たで酢で魚を食べるということが好きなのよ」。

あまりの現実的な指摘にぐうの音も出なかったが、聡明なる私は、反論を試みた。

「いや母上様、僕が鮎を好むのには、正当な理由があります。それは鮎の生態に共感を覚えるからなのです。

いいですか、鮎は年魚とも呼ばれるように、一年で命をまっとうするのはご存じですよね。たった一年の間に川を溯上して産卵し、その間にどの魚にもない香りを育み、優美な姿でかぐわしさを発散しながら力尽きて死んでいくのであります。

どうでしょう、この切なさと華やかさを併せ持つ生き様に、日本人としての自分を投影します。内なる日本人としての死生観や無常感に訴えかけられるのです。

だから鮎を食べるたびに生きている喜びを実感する。

生きる喜びイコール食べることであるから、その象徴的なホッペが落ちるという感覚が生じる。以上証明終わり」。

なぁんてことを言える知恵はなく、やはり子供ならではの錯覚で、ホッペ落ちの原因は酢なのかしらんと、寂しい気持ちになったのであった。

しかし大人になったいまも、ホッペは落ちる。

いまだ味覚が子供なのか鮎の身自体に力が宿っているかはわからぬが、到来を待ち兼ねた鮎にかじりついた瞬間、頬が弛緩してへなへなと笑ってしまうのである。