今まで何十回食べただろう。
名物クードブッフである。
初めて出会った時、これを黒いダイヤモンドと、呼んだ。
ダイヤモンドとは違う色合いだが、他を寄せ付けない純粋な輝きが、ダイヤモンドを想起させたからである。
運ばれてきたら、その輝きに目を細め、顔を皿の上に持っていく。
煮詰められ、濃密となった赤ワインに、脂やコラーゲン、肉の滋味が溶け込み、妖艶な香りとなって鼻腔をくすぐり、顔を包む。
「ごくん」。
何度食べていても、食欲がうごめき、喉で音を立てる。
ほろりと崩れる肉を 口に運ぶ。
脂が溶けて唇を濡らし、歯の間で繊維はほどけ、コラーゲンが舌を抱きしめる。
食べているのは我々である。
だがいつも、牛尾に唇や舌が食べられている気がするのは、なぜだろう。
舌の上で、滋味を滴らせながら、尾が揺れる。
牛のエネルギーに、吸い込まれていく自分がいる。
ソースは重くない。
畳み掛けてくるようなうまみもない。
さらりとしていながら、言いようのない切ない気持ちになるのはなぜか。
甘み、酸味、塩気、うまみが混然と丸くなじみながら、官能を溶かそうとする。
この情緒こそが、フランス料理なのだ。
もうしばらくすると、この料理とも別れを告げなくてはならないのだ。
だが僕は、甘美な記憶を深く深く刻み込み、死ぬまで手放さない。
三田「コートドール」にて