焼津「馳走 西健一」

豆アジとエボダイの清冽。

食べ歩き ,

歯が入った刹那、息を呑んだ。
鳥肌が立つ。
幼い甘みが溢れでて、えぐみが一切ない、
苦味はかすかにあるのだが、うま味として存在し、どこまでもきれいである。
小さいながら懸命に生きてきた、命の誇りがある。
生の状態からして美しい。
目は澄み、白いお腹に青緑色の背中が飛沫を上げ、今にも跳ねそうな気配がある。
こんな豆アジは見たことがない。
フリットにされた豆アジは、はかない甘みをそっとにじませながら、いつまでもあまい余韻を口に残すのだった。
続いてエボダイのフリットである。
揚げられ、加熱されて、体内に持つエキスが膨張して、ふっくらと膨らんでいる。
噛めば、空気を含んでいるかのように、ふわりと崩れていった。
白き肉が、花弁のごとく、舌の上で舞う。
サクッと揚げられた衣と、しなやかな食感の身という対比に胸が焦らされる。
エボダイは、干物の味とはまったく違う。
繊細でエレガントであり、切ない甘味がゆるゆると流れ出す。
そこには、食べてはいけないと思わせる、ひたむきな生命感があった。
そしてこれもまた、食べ終わったあとにほのかな甘みがいつまでも漂い、心を濡らすすのだった。
魚が傷つかないよう、漁師が網を開発し、慎重に獲って港に運び、サスエ前田さんが手当し、西さんが揚げる。
一分の狂いもない美しく正確なバトンリレーが生んだ、真実の魚の味である。
焼津「馳走 西健一」にて。