人間が火を見ると落ち着くのは、身を守る、暖をとる、漆黒の闇に明かりを灯す、肉類を加熱することによって摂取しやすくするといった原始時代からの記憶が脈づいているからと言われる。
そういう意味で囲炉裏は、食事をする場所としては、最高のシチュエーションだろう。
潜在的な安心を与えながら、食欲も沸かせるという場所だからである。
さらに今回思ったのは、囲炉裏を囲む人の間で一体感が生まれるような気がした。
一緒に卓を囲み、同じものを食べ、同じおいしさを共有すれば一体感が生まれるが、囲炉裏はその効果を一層高める。
目の前で肉が焼けていく。
表面に脂が浮き、色が褐変していく。
煙が上がり、香りが深まる。
肉から脂が滴る。
照りが深まり、さあ食べろと肉が誘う。
刻々と変わる光景を、酒を飲み交わしながら、同時に体験する。
そして焼き上がりを待つ。
早く肉を喰らいたいと思う気持ちを焦らし、共有しながら、待つ。
「共食」とは、人間だけの行為であり、この共食によって、共感性や相手の感情を読み取る感覚、共に喜ぶ感情、連帯性、社会性などが生まれたと言われる。
その「共食」の恵みを最も感じるのが、囲炉裏を囲んでの食事ではないか。
猪を鹿を、熊を鶏を齧りながら、普段よりみなコーフン気味だったのは、決して酒のせいではない。
共食の歓喜という根源的な衝動が、体の中で渦巻いていたからである。
柳家にて