「流麗」という言葉がある。
「流麗」という表現は、文章や音楽などが、なだらかで、美しい様を指す。
僕は、この店でラーメンを食べる度に、「流麗」という言葉を思い浮かべる。
ご主人の動きが、踊りの名人のように淀みない。
味に迷いがなく、素直で、無駄が一切ない。
荻窪「はつね」は、たった6席のラーメン屋である。
出来ますものは、ラーメン、ワンタン、もやしそば、タンメン、叉焼麺。
餃子もなければ、ビールもない。
先代も寡黙で、実直なラーメンを作る方だったが、受け継いだ当代は、それを上回る正直なラーメンを作る。
焼豚タンメンを頼んだとしよう。
ご主人は、キャベツと少量の白菜(冬のみ)、人参、もやしを次々と鍋に入れ、14秒炒め、スープを入れて煮込む。
次に麺を1分30秒茹で、その間にスープの調味をし、小皿で味を見る。
丼に麺を入れ、スープを入れて完成する。
キャベツも白菜もそれぞれ同寸で、人参も極細の同寸に切られている。
「仕事がしてある」野菜は、口の中でみずみずしく甘い。
叉焼は、食感の違いを楽しんでもらおうと、薄さと厚さを出して、ワザと三角形に切ってある。
そして端っこの切れ端には、隠し包丁を入れる。
スープは澄み渡り、味に濁りがなく、一口目で舌を癒すが、食べ進むうちにうま味が増していく。
もやしそばもラーメンもワンタンも同様で、一切けれん味がなく、愚直なまでの品が漂う。
これこそが東京の味である。
気のおけない、贅沢な味である。
叉焼タンメンを食べていると、ご主人がお手伝いの方に無言で水を要求した。
水が入った湯のみを受け取ると、ご主人はしゃがみ込んで、客から見えぬように飲んだ。
ご主人の無駄のない動きは、機能美ともいえるものである。
だがその中には、そこにいていぬような心配りが、息をするように成り立っていて、それこそがこの味を生み出しているのだと知った。