Solong vol6

食べ歩き ,

  • 1

Solong vol6
「どうして『下町っ子』って名づけられたんですか?」と聞くと、 
「あたしが下町育ちだからねえ」と、彼女は答えた。 
「だから東京大空襲のときは、大変さ。あたしは山形に疎開していたから助かったんだけど、近所の人はみんな亡くなってねえ。 
母親は幼い弟おぶってね、姉の手を引いて逃げてね、隅田川の堤防に助けられたん。 
火の手が迫って堤防の内側に入ろうと思ったら人で一杯でね。荷物はダメだよってんで、身体だけ入って荷物外に置いたら、その瞬間パッと火がついたってんだ。 
危機一髪だったねぇ。だからあたしは孤児にならずにすんだんだ」。 
ここは練馬区富士見台の住宅街から離れた場所でぽつんと営むステーキ屋。一人で切り盛り、毎日ステーキを焼き、ハンバーグを焼き、シチューを作っているのは、おばあちゃん一人。 
「ステーキ茶屋 下町ッ子」の店主、松澤 瑛恵さん83歳である。
だが、とてもそんなお年に見えない、ロックだぜ。
この店には、一人で行ってはいけない。
果てしなき、お母さんのマシンガントーク攻撃で包囲され、帰れなくなるからである。
私はここで以前、ハンバーグ定食を食べただけなのに2時間足止めを食らったことがある。
ランチの「ハンバーグ定食」1600円は、この立地ではとんでもなく高い。しかし真っ当な理由がある。 
長年肉と付き合い、愛情を注いできた彼女の矜持が詰まっている。 
「ここで『松金』て肉屋を始めてね。35年もやりましたよ。 
肉の質だけはいいものを産地と掛け合って揃えていたから、おかげさんで、ほら世間が騒いでた時、O157とかBSEの時は、うちの店に行列が出来てね。嬉しかったですよ。 
ソーセージもハムも手作りでね。ほらソーセージといえば昔は真っ赤でね。その頃は仕入れていて、よく売れたなあ。運動会の時なんざ、500本近く売れたもんですよ。 
こう上から吊り下げてね。 
『三本下さい』。『ハイよっ』ってんで、間を切って売ってました」。 
「でも着色料が入ってるん。それがどうしても気に入らなくてね。入らない白いやつを作らしてたん。 
これは赤いのに比べて売れなくてねぇ。長いとこ苦労しましたよ」。 
「でも着色料なんてまだいいの。当時の赤いウインナーなんて三日しかもたないんだから。それがいまじゃ何日も持つでしょ。そっちのほうがもっとひどい。だから自分とこで作り出してね。 
ベーコンなんか厚くなきゃおいしくない。厚いのを切って食べるからおいしいのに、最初から切ってあるやつなんか寂しいねぇ」。 
「そうしたから重労働でねぇ。17人も雇っていても、来る日も来る日も、仕込みで明け暮れて、ほとほと疲れちゃうん。 
年取ったらひとりで店やりたいなあと考え出したんだけど、お父ちゃんが交通事故で体壊しちゃってね。うちに病人はいる、仕込みは大変だで、それどころじゃない」。 
「でもある日ついに体こわしてねぇ。 店たたんで、この店始めて8年になりますよ。 
さいわい肉の仕入れは、古くからの付き合いがあるから、いいのが入るからね」。 
そんな話を聞いたのが、今から11年前だった。
使っているのは名高い畜産家の手による神戸牛ランプ肉ステーキ、お値段は、100グラム3300円からを、定食屋のような内装の店で、出している。 
ハンバーグは、箸で切ると、半透明な肉汁がこぼれだす。練れた、熟れた肉の味がする。 
街中のハンバーグを食べなれた人は戸惑うだろう。 
いやらしく、したたかな熟成した肉の味。 
肉の香りのするハンバーグ、粉を入れず肉のコラーゲンと甘味だけで作った、最後にご飯をぶち込むとおいしいシチューソース。
いずれもおいしかったなあ。
ご飯も味噌汁、付け合せのお惣菜、ポテトサラダとともに、おばあちゃんの心意気が詰まっている。
勘定を払いがてら、「ハンバーグの肉はどこの部位ですか?」と聞くと、またトークが炸裂した。
「すね肉よ。ここが一番挽肉にして味が出るの・・・から始まり、神戸牛のコト、A5の嘘や国産牛のコト、和牛のコト、今度は話しが豚に移ってと、おつりも返さず、話し続ける。
「そうですか」と、相槌を挟む余地もない。1ミリもない。そこで
「スイマセンおつり」というと「あらごめんなさいね」と渡すが、話しがまたぶり返すので、すかさず「領収書下さい」と切り込み、難を逃れたこともあった。
現役最年長の女性肉焼き職人、83歳の松澤瑛恵さんは、まだまだ元気だったが、
今年10月に店を閉められた。
さようなら。
またお母さんの話を聞きたいな。