肉が悶えている。ふわりと煙を上げ、香りを放ち、油にまみれながら、「ジュウッ」と叫んでいる。
隣で軽やかにタップダンスを踊っているのは、野菜や茸だ。
鉄板焼きはいい。
こうして目前で料理に変わっていく食材と、一体になれる。
一昔前まで「鉄板焼き」といえば、ホテルの鉄板焼きを指し、高級でおじさんくさい料理だった。だが二十二世紀に入った途端に、深化し始めたのである。
火が均一で落ちにくい優れた熱源の上で、自在にコテを振るって食材を駆使し、創造したい。そう考える料理人が出始めたのである。
お好み焼き屋もまたしかり。元来鉄板焼きは脇役であり、食材をバターと塩コショウだけで炒める店が多い。しかしそれでは満足せぬ職人が増え始めたのである。
その一つが「きんさい屋」だ。
もやし炒めを食べてみる。広い鉄板に一気に広げ、短時間で火を通したもやしは、みずみずしく、シャキッと口の中で甘く弾ける。これぞ鉄板のなせる業だ。
焼きそばもまた、瞬間的に水分を飛ばすことによって、アルデンテのコシが生まれている。
丸腸は、余分な脂を落としながら炒められ、外はしっかり、中はふんわり仕上げて、特製赤味噌だれを絡める。歯を入れるとくにゃりとつぶれて脂の甘みが溶け出し、焦げた味噌の香ばしさが加わって、思わず顔が崩れる。
とんぺいは、巧みなコテ捌きで見事な半熟に仕上げ、とろりと流れ出る黄味と豚脂の競演に、歓声を上げてしまう。
煎餅のように、カリリと炒め上げた鶏皮、胡椒が利いた叩き豚軟骨、引き出されたネギと豚の甘みに、甘辛い味噌ダレが追い討ちをかける、豚バラネギ味噌焼き。
どの料理も、食材の持ち味を鉄板でどう引き出そうかと、考え抜かれた潔さがあって、わくわくするような楽しさを運ぶのである。