その液体を語ろうとするほどに、ウソになってしまう。
1938年。75年間眠っていた赤ワインは、三日前に抜栓され、三時間前にデキャンタに移された。
縁はややオレンジを帯びているが、まだ、赤い輝きを満々と湛えている。
グラスに注がれたワインをそっと嗅ぐ。
ああ、なんたることだろう。
香りが丸い。
腐葉土のような複雑さを持ちながら、鼻腔をふわりと抱きしめて
ベリーも葉巻も、チョコレート香もすべて飲み込んで、丸く穏やかながら、奥底に神秘が揺らめいている。
叡智の届かぬ深淵があって、香りだけで、ふっと体を弛緩させ、心を座らせる。
鳥肌が立った。恐る恐る飲む。
滑らかで、唇と舌と上顎と喉に、一瞬で同化して浸透していく。
舌の上を静かに滑っていく。
そこには、土と風と空気をそのまま飲みこんでいるような、豊かな包容力がある。
これはワインではない。大地なのだ。
自然の大地ゆえにウソがなく、刻々と表情を変えて、翻弄する。
悲劇も喜びも、罪も善行も、幸せも悲しみも乗り越えて達観した、老人のような目で、訥々と語りかける。
柔和な顔の襞に、不思議と複雑が渦巻いている。
神秘は夜より深く、愛は空より高い。
75年前、神の与えた鳥居平という”真土“の土地と作り手の根性と、もったいない精神から、皮も種も小枝も搾りに絞って作った、今の醸造方法では再現できぬワインは、いまなお雄大で、真実の愛に満ちている。
自然への畏怖を感じて、また肌が引き締まった。
こうして、伝えようと思い言葉にしても、その欠片しか表せない。
それでいい。相手は自然であり、人の心なのだから。
でも少しでもその感動を伝えたい意識を、眠らせてはいけない。
シャトー勝沼にて。