思い出すと、猛然と食べたくなって、居てもたってもいられなくなる味が、ある。
その一つが、この店の「ポークソテー」である。
それはもう、運ばれてきた瞬間に、バターとニンニクの香りが立ち登って、顔を崩れさす。
厚切の豚肉は、緻密でたくましく、肉汁が滴り落ち、脂は舌の上で甘く溶けていく。
その豚肉を、醤油、バター、酒、肉汁、油、極少量の砂糖によるソースが持ち上げ、猛然とご飯をかき込ませる。ああ、たまりません。
添えられるは、千切りキャベツに
マカロニサラダ。
実はこの、一見普通なマカロニサラダが、曲者なのである。
いや曲者というより、巧者と言おう。
「いやあうちのは、家庭料理の延長線です。凝ったことはしていません」と、ご主人の石井明美さんはおっしゃるが、いえ、そんなことはございません。
僕は、先代がやっていらした「キラク」から、30数年通っているが、常連たちの多くは、「サラダ大盛」と注文し、マカロニサラダを大盛りにする人が多い。
それこそが只者ではない、証じゃありませんか?
それにこの界隈は、隣接する柳橋、芳町といった、旧花街の客や、問屋街の旦那などが通ってきて、たださえ味にうるさい旦那衆が多かった。
昭和28年に創業し、多くの馴染み客を作った「キラク」は、そんな舌が肥えた客も満足させてきたのである。
もちろん主役は、ポークソテーやカツであり、ランプやイチボを使ったビーフカツである。
しかし脇役であるマカロニサラダも、また愛され続けているのである。
クセがなく素直な、ゲッツの綿実油を使ったマカロニサラダは、味が控えめである。
油を感じさせず、塩分も穏やかで、洋食屋にありがちな、主張の強いマカロニサラダはでない。
だが、実に口当たりが滑らかで、味が優しく、ほっと心が和ます力がある。
同寸に切られた人参の茹で具合も、胡瓜のアクセントも、寸分の狂いなく、静かに潔く脇役を演じている。
濃い味のビーフカツやポークソテーを食べる合間に、マカロニサラダを挟めば、気持ちが落ち着き、再び気持ちが肉に向かう。
そう。
肉料理を盛り立てるように、計算されたマカロニサラダなのである。
基本のレシピは、先代と変わっていない。だが、「玉子の質が昔と変わって、やや水っぽくなったというか、質が変わりましたでしょ。ですから分からないように徐々に塩分を変えています」と、石井さんは言う。
味を守るとは、こういうことなのであろう。名脇役は、時代とともに変化を続けているのである。
今日も「そよきち」のマカロニサラダは、品よく淡い味に整えられて、肉やソースを支え、盛り上げる。
それは、小学校3年から父の仕事を支え、父の亡き後も、父が作り上げた味を忠実に盛り立てる、店主石井さんの誠意と重なるのである。