あまりにもおいしいと、人は戸惑う。
汚したくない冷麺である。
僕は普通冷麺を食べるときには、まずそのまま食べて、途中から酢を注ぎ、溶き辛子を落とし、たまには韓国醤油を垂らし、別にもらったカクテキやペチュキムチの漬け汁を入れて辛くする。
つまり、「段階的味変」を楽しむワケですね。
しかしこの冷麺は、一ミリもいじりたくない。
まずスープを一口飲んだとき、あまりの美味しさに戸惑った。
戸惑うほど、今まで食べたどの冷麺とも違うのである。
三日間沸騰させずに取った牛骨スープとタッカンマリのスープを裏ごしたいう液体は、純真な、野菜や鶏由来の甘みが広がって、行き渡った滋味が顔を出し、幸せを膨らます。
スープが、いや溶け込んだエキスが、スローモーションとなって流れていく。
口の中からなにも無くなると、ほのかにコラーゲンの粘りが残されて、甘い香りが漂っている。
酢を添えられたが、入れたくない。
強いて入れるなら、青唐辛子だろう。
この冷麺は、韓国人はしないだろうが、口を器につけて、「ズルズルッ」と、音を立てながらすすりたい。
そして最後は、丼に口をつけて飲み干す。
一滴も残さず、食べ終える。
「ふうっ」。
充足のため息ひとつ。
口も喉も胃袋も、ひんやりとしている。
しかしなぜか心は、春の陽だまりに包まれているようだった。
心を温める冷麺。
そんな冷麺もまた、初めてである。