「大連」で食べたのは、蒸し餃子だが、長年、焼き餃子以外の餃子は、存在さえ知らなかった。水餃子もスープ餃子も知らない。
餃子は、中国東北部で発達したとする説が濃厚である。歴史は古く、1986年に唐代(七世紀~)の遺跡から餃子のミイラ見つかっている。
新疆ウイグル自治区の古墳から発見された世界最古の餃子は、八個が椀に盛られた状態で、現地は乾燥して雨がほとんど降らないため、埋葬されたからたちまち水分が吸収され、皮も餡も腐らずに残ったのだという。
さらに古くは、小麦粉の皮に具を包んで加熱した食べ物が、古代メソポタミア文明の遺跡から見つかっていることから、紀元前3000年頃には餃子の起源となる食べ物が食べられ、それがシルクロードを伝わって、インドや中国などで発展し、近隣諸国へ伝わったと考えられているのだそうだ。
恐らくは、加熱された野菜や肉があり、小麦粉と水を練った餅のようなものがあり、それを交互に食べていたところ,一人の食いしん坊が、皮にして具材を包んで加熱したらどうだろうと思いついたのかもしれない。
手軽でおいしい一大発見である。同時多発的に、各地で発見されたのかもしれない。しかしその中において、焼売、餃子、ワンタンとの違いは、どこで生まれたのだろうか。
明治大学の張競教授によれば、かつて中国で饂飩と称されていた食べ物は、餃子の祖先であった可能性が強く、そこから分派していたのではないかとしている。
ともかく、餃子が生まれて千三百年後、旧満州から引き揚げた人々が、日本に持ち込み、流行させたのである。
外食で餃子を食べるようになった大学生時代、衝撃を受けた店が三軒ある。第一は、神保町の「スヰートポーヅ」だ。