鰻丼はいまや劣勢である。
鰻屋では、右を見ても左を見ても鰻重。僕はそんな希少鰻丼の擁護派である。
丼とお重の違いは器だけでない。
第一に、テーブルに置いて手を添えて食べるのに向くお重と違い、手で持って食べる様式の丼は、ご飯と蒲焼を一緒に掻き込みやすいという利点がある。
第二に、タレのご飯への馴染みかたがよい。お重は食べ終わると器に少しタレが残るが、丼ではきれいにご飯に絡まって、器には残らない。
第三に、四角いお重にきれいに収まる蒲焼の姿も美しいが、尻尾を丼の縁にしなだれかけた鰻丼も艶っぽいゾという、いささか主観的な理由も加えたい。以上、僕が丼を擁護する所以である。
創業以来、鰻丼一筋なのが「安斎」だ。
予約で頼んだ鰻丼を、酒を飲んで待つことしばし。
春夏は塗、秋冬は瀬戸物の丼に入れられた鰻丼が登場する。
ふたを開けると、一点として濃げ色の見当たらない、艶やかな飴色に焼き上がった蒲焼が現れ、「はっ」と息を飲む。
しかしあとは一気呵成。鰻の身、脂、タレ、ご飯が渾然一体となった醍醐味に邁進するだけである。
もちろん途中で、香ばしい焼き肝入り吸い物や上等なお新香で口を新たにし、再び丼に向かうのも忘れてはならない。
鰻の質がよく脂のキレがいいので、食後も爽快な満悦感を得られる鰻丼だ。
一方、お重と丼の二本仕立ての「中川」にも、そんな悦楽が待っている。余分な脂を落とし、ふっくらと焼き上がった鰻は、箸に力入れることなく切れ、辛口のタレ、おいしいご飯と一体となって、顔を緩み放しにさせるのである。
いずれも最初の一口は山椒をかけずに食べ、後に蒲焼の上かご飯の上にかける際も、かけすぎないのが、おいしく食べるコツである。
さて最後の真打ちは老舗の「野田岩」。
実はこの店、友人たちから「淡白だ」と人気がない。
しかし現代人は、脂っぽさや味の濃さ、柔らかさを求めすぎていないだろうか。
この店には、天然鰻だけが持つ川魚のほのかな甘みと香り、それを生かす技が息づいているのだ。
そのため最初は一緒に掻き込まず、蒲焼だけを味わってごはんを食べると、いっそう味がわかる。
小柄な丼の鰻は脂控え目で、タレもそんな鰻を生かす穏やかな甘口。心を傾けて食べれば、九月に川から大海に出ていかんとする鰻の滋味が、品のある淡白さの中から滲み出てくる。
まさしく、これ見よがしでなくさりげない、粋な味。江戸っ子が好んだ鰻の味であり、百五十年間に渡って連綿と受け継がれてきた、東京の文化が宿った味わいなのである。
鰻丼は、ご飯と鰻を一緒に掻き込み、渾然一体となったおいしさを味わえ。
鰻丼は一気呵成に掻き込み、鰻、タレ、ご飯の渾然一体となったおいしさを味わうべし。
鰻丼の鰻は、ご飯と一緒に掻き込むことによってこそ真価を発揮すると思え。