「どうやって食べるのが、一番おいしいですか?」と、アルコール漬け瓶詰めウニの元祖である「うに甚」の富田社長に尋ねてみた。
「そりゃあ、シンプルに熱々のご飯に、たっぷり乗せて食べるのが一番です」。
「そんな、僕なんかもったいなくて、ちびちびいっちゃいます」。
「その気持ちもわかりますが、ひと瓶を四人で各一膳ずつのご飯で使い切るくらいの気持ちでやるとたまらんですよ。だいたい瓶詰めウニは、贈答品が主ですから、自分で買ったのではなくて貰い物ですから、ゼータクな食べ方もできるのです」。
御意。
この珍味は、ひょっとした事故から生まれたという。
明治時代に、界灘東隅に浮かぶ六連島という小島で、嵐に出会った外国人船員が寺に避難していた。
ある日、盃に注ごうとした酒(ジン)が誤ってこぼれて、生ウニに降りかかってしまった。するとどうだろう。
みるみるうちにウニが固まっていくではないか。
口に含むとなんともうまい。
酒はアムステルダム・オランダ刻印のある、度数45度のジンであったという。
ジンの起源は、ジュネヴァというスピリッツと言われているので、おそらく「ボルスジュネヴァ」のような、ウオッカのようにクリアーでありながら、ウィスキーのモルティフレーバーを併せ持った、酒だったのだろう。
それに浸ったウニは、確かにうまいに違いない。
しかしここからが日本人の賢いところで、住職は、六連島で一番の雲丹業者城戸久七(きどきゅうしち)に試作させたのである。
さらに城戸は研究を重ねながら、独自のうに加工の製法を極め雲丹製造の元祖となり、商号「雲丹久」とし全国に名声を広めていった。
日本にはジンはない。日本酒でも焼酎でも度数が弱すぎて、腐敗につながってしまう。
想像するに、加水しない前の焼酎を使い、今より塩分を強くして保管性を高めたのだと思われる。
その後城戸久七に16歳で弟子入りした上田甚五郎が、うに加工技術を学んでいた。
城戸久七75歳の時、将来の瓶詰めうに発展を思い、秘法である雲丹精製六十年間精進の奥義を甚五郎に授けたという。
その後甚五郎は、雲丹製造元祖として「うに甚」を起こした。
現在まで100数年、アルコール漬け瓶詰めの「粒うに」は、その秘伝を守り続けている。
現在酒は、アルコール度数90度の純度が高いエチルアルコールを使っている。
55gの一番小さい瓶で、10個以上のウニが入っている計算になり、一番有名な「赤間ウニ」は、バフンとムラサキウニが半々入って、2160円であるから、考えてみたら相当お安い。
「うに甚」社長の計らいで、びん詰ウニの食べ比べという、罰当たりなことをさせてもらった。
高価なものから、バフン100%の「関のうに」、バフンと紫の「赤間」、「バフン含有量が減った「粒うに」、チリ産のウニを使ったという「海の華」の4種類である。
高価なものから色が赤く濃い。
やはり「関のうに」がうまいんだな。
何が心をつかむかというとそれは後口なのである。
どの瓶詰めウニも、濃密な味が舌の上に広がって、酒やご飯が恋しくなる。
だが口から消えた時に、雑味が一切残らず、甘く切なく、それでいて太い旨みが、サラサラと空気となって、たゆたうのである。
うむ、今度ボルスジュネヴァを買って、こいつにかけてやろう。
その話はまた。