東京の冬は、どうも情緒がない。
雪も稀にしか降らないし、街はイルミネーション渋滞で混雑しているし、夜のタクシーは拾えずに殺伐としているし、ばたばたと音を立てて師走が来て、気がつきゃ松の内があけている。
じっとり冬を楽しもうって気分にはなかなかならない。
まあ僕の場合は、カナダでスキーをして、オーストラリアで避寒して、東京に居るのは、元旦に実家で吉兆のおせちを食べるときだけですから関係ないすねハハハハハ・・・。と言ってみたい。
大抵は忘年会続きの酷使した胃袋で31日深夜まで仕事をし、正月は昏々と眠り続け、気がつきゃまた出社という、東京より自分自身に情緒が無い、トホホ状態である。
しかし冬は好物である。
ゆえに夏と違って、避寒計画は立てない。
東京という季節感の薄い都市で、いかに冬感をレベルアップするか、秋頃よりざわざわと考え始めるのである。
さて一般的な冬の楽しみというと、
一、スキー、スノボーに出かける。
二、温泉につかる。
三、鍋を楽しむ。
四、コタツでみかん。
五、澄んだ夜空で星空観測。
六、雪国に出かける。
といったところではないだろうか。
しかし一、五、六と、三つが東京では困難だ。
ゆえに東京の冬の楽しみは、徹底的に「食べ物」(おいおい結局それかよ)に集中するのが正しいのである。
ただし、ただ鍋やジビエに走ればいいというものではない。
それらの料理を楽しむべく、いかに事前に備えをするかという点が肝要なのである。
キーワードは、銭湯、散歩、彫刻だ。まずは浅草に出かけよう。
「ちょいとひとっ風呂浴びてくらぁ」とかいって、昼過ぎにタオル片手に浅草へ。
天然温泉の銭湯、「蛇骨温泉」へ向かう。
「おっとぬるいね、こいつは」なんて江戸っ子気取りで一時間ばかし浸かる。
風呂上りに冬の空気がすがすがしい。体清く、腹軽くなったら、「お多福」で人肌燗におでんもよし、「牧野」でふぐちりか毛蟹と大根の味噌鍋をつつくもよし。
あるいは北の日本堤に出向いて、洋館銭湯の「二十世紀浴場」に入り、「中江」の桜鍋で体を火照らせるというのも手である。
東京のおでんなら、本郷の「呑喜」もいい。
ここに出かけるならまずは、小石川植物園へ。
広大な庭園を散策しながら、寒紅梅や寒桜、雪椿や猫柳などを愛で、一句読んだ気になりながら、後楽園のラクーアへ。
各種温泉やサウナをじっくり楽しんで、ついでにリフレクソロジーやあかすりまでして、気分一新で屋外へ。
これだけ準備万全なら、「呑喜」の真っ黒になって味の染みた大根や豆腐も喜ぶってもんです。
冬の散策に渇望し始めたら、目黒の「現代彫刻美術館」へ。
なぜなら、彫刻は、冬の張り詰めた、寒々とした空気の中でこそ、凛と迫ると勝手に考えるからであります。
凛と迫られたら、目黒方面へ歩いて、庭園美術館へ。
冬の木花を見ながら庭園でしばし過ごし、プラチナ通りをぶらぶら下る。そのまま恵比寿方面へ歩いて「フレーゴリ」へ入店。
三キロ強ほど歩き、木々の香りをまとったあなたの胃袋は、当然のごとく、皮の下にみっちりと脂がのった猪肉を求めているはずである。
彫刻と散策、冬美食セットは、東京ならではの楽しみなのだ。
他では、上野西洋美術館から歩いて、「池之端藪蕎麦」の鴨鍋や「シンスケ」の「鮟鱇鍋」。
清澄の現代美術館から清澄庭園経由、両国の鶏ちゃんこ「川崎」や、猪鍋「ももんじや」。
彫刻は無いが、信濃町で降りて絵画館周辺をぐるりと散策してから、神宮前の「ラミ・ド・ヴァン・エノ」でベカスを始めとしたジビエ料理を楽しむなんてぇのも洒落ている。
おやこうしてみると、冬の東京もなかなか情緒があるじゃございませんか。、