「私を食べて」

日記 ,

「私を食べて」。
米粒がそう語りかけてくるご飯だった。
神楽坂「虎白」にて、BALMUDA The Gohan という新式の炊飯器で炊かれたご飯料理会に出かけた。
BALMUDAで炊かれたご飯は、粒だちがいい。
米は一致団結しているのだが、噛むと、一粒一粒の存在感があって、稲穂をいただいている感謝が湧き上がる。
炊きたてはもちろん、冷えても、汁にまみれても、米粒の主張がある。
つや姫だから、いつもいただく米と変わらないのだが、一粒一粒が大きく、甘く感じられる。
焼き白子のせは、白子と一緒に食べてもいいが、白子を潰して、ご飯と混ぜてみた。
するとどうだろう。白子の精が米と抱き合い、顔を崩す。
白子の色っぽいうま味と米の甘みが溶け合って、心を包む。
焼いたノドグロをのせたご飯も、ノドグロを崩し、ご飯と混ぜる。
さすれば、ノドグロの強い脂を抱き込んで、柔らかい味となっていく。
すっぽんの飯蒸しもトリュフと卵も、汁にまみれても、米粒の味わいがある。
これも炊いたご飯に力があるからなせる技だろう
冷やご飯にも驚いた。
冷たいのに、味にふくよかさがある。
やはり一粒一粒がファイティングポーズを取っていて、食べる喜びがある。2017
冷やご飯を食べながら同席者と「シウマイ弁当」の話になった。
シウマイ弁当のご飯も美味しいねと。もち米が入っていないのにどうしてあんなにもちっとして甘く、美味しいのかと。
BALMUDAの社長が来て、散々苦心した開発秘話を話してくれた。
ヒントになったのは、シウマイ弁当だというのである。
彼もシウマイ弁当のご飯のおいしさに疑問を持ち、その製造方法を探って、そこからヒントを得たという。
蒸気の力で炊く。
ただそれだけのことで、シウマイ弁当もBALMUDAも人を幸せにする。